成瀬巳喜男監督、水木洋子脚本、下永尚録音による映画『山の音』(1954年)の最終盤、新宿御苑の場面において、山村聰は原節子に向かって以下の台詞を口にする。信吾は山村の、菊子は原の役名である。
信吾「さっき電話で、菊子の明るい声をきいて、ほっとした〔…〕あれが、菊子の声なんだね。菊子のほんとうの声はあれなんだね」*1
「ほんとうの声」とは何か。作中の文脈でいえば、直前の場面で山村聰が電話越しに聞いたとされる原節子の声のことである。そこでは会社の重役室で電話を受ける山村だけが映し出され、原のほうは見えも聞こえもしていない。電話中の二者を交互に映し出すことも多い成瀬映画だが、『山の音』は原の「ほんとうの声」をわれわれから遠ざけている。
代わりに『山の音』で耳にされる原節子の声は、同時代の他の映画におけるそれとは違った質を帯びているように聞こえる。たとえば『東京物語』(小津安二郎監督、1953年)や『驟雨』(成瀬巳喜男監督、1956年)などと比べて、もっさりとした特徴的な奥行きを欠き、不自然に高音ばかりが響いている印象を受けるのだ*2。『山の音』では、原の「ほんとうの声」を全編にわたって秘匿する音響上の操作が加えられているのではないか。
川端康成による原作『山の音』は、そのタイトルからして音響的な工夫を要請している。映画『山の音』は第一に、原作や脚本にあった「山の音」への言及を排除し、それらしい音を聞かせることも差し控えるという選択でこの要請に応じる。同時に、その不在の周辺には、山村聰が原節子に「御ズレ」と「緒ズレ」を続けて発音させるくだり*3や長岡輝子のいびき(と鼻をつまんでそれを一時停止させる山村)、原による猫の鳴き真似、「ひどく風邪をひいたよう」で「エロチック」な声の愛人など、音声をめぐる挿話が多く配されている。夫の上原謙に「子供」と揶揄される菊子を33歳の原節子が演じる同作において、その声をあえて高く響かせることは、他の繊細な主題や演出の配置と整合性があるといえる。
この仮説を確かめるべく、まずは原作にない「ほんとうの声」という主題が脚本に導入された経緯(の一端)を調査した。
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水木洋子の直筆による脚本の第一稿が、市川市文学ミュージアムに所蔵されている。その最終場面に「先刻の元気な電話の声をきいて、これが菊子の声だと思った」*4という信吾の台詞はあるが、「ほんとうの声」という文言は見られない。
最終稿とのより決定的な違いは、それに先立つ電話の場面にある。電話の向こうの原節子の台詞が、「Filter」という指示――電話を通したように声をくぐもらせる効果を指すのだろう――とともに明記されているのである。そのやり取りの冒頭を書き取った。
信吾「あ、もしもし、‥‥菊子?」
菊子の声「(Filter)はい。あ、お父様?(と元気な声)」*5
第一稿の時点で、水木洋子は電話のやり取りをすべて聞かせ、「Filter」越しの声だけを「元気な声」と位置づけることを想定していた*6。つまり、撮影稿に至る改稿の過程で、「ほんとうの声」に台詞で言及し、かつその声は観客に聞かせない、という互いに連動する変更が加えられたことになる。その経緯や改稿途中の脚本は調べられていないが、ここには成瀬巳喜男を筆頭に演出方針を決める何者かの介入があったと考えたい衝動に駆られる。原節子の声をめぐる仮説が、間接的に裏づけられうるからだ。
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続いて調査すべきは、『山の音』の原節子の声が与える甲高さの印象の原因である。録音・整音段階の意匠である*7と示したいところだが、当時の音響技術(というか音響技術全般)にまったく通じておらず、原の発声の使い分け、フィルムの保管やディジタル化の過程で生じた技術的不備、あるいは単なる聞き違いといった可能性も排除できない。いつになるかは分からないが、この点が解明できたら後篇を書くつもりでいる(誰かが先に、あるいは一緒に解明してくれるならそれも歓迎したい)。
成瀬巳喜男は初のトーキー監督作『乙女ごころ三人姉妹』(1935年)におけるナラタージュに始まり*8、遺作『乱れ雲』(1967年)における映像に同期しない音声の多用に至るまで、物語映画の枠内で映画の音声を不断の実験にさらした人物でもある。中には高峰秀子がバスガイドらしい発声を目指して自らの声を矯正してゆく『秀子の車掌さん』(1941年)という中編もあるほか、特異な位置づけのナレイションも多くの作品で用いている。題にも台詞にも音声への言及がある『山の音』の生成過程に迫ることができれば、成瀬のフィルモグラフィをたどり直す有効な足がかりになると思う。
(No.0025)
*1:水木洋子「シナリオ 山の音」『キネマ旬報』1953年12月上旬号、120ページ。
*2:ただし、『めし』(成瀬巳喜男監督、1951年)には場面によって原節子の声が『山の音』と同程度に高く薄く聞こえるところもある。また、これらは配信やDVDで視聴して受けた印象であり、フィルム上映で比較をしたことはまだないことも書き添えておく。
*3:阿部嘉昭はこれを「強制によって原という楽器を原自身に「演奏」させ」るやり取りと形容した。『成瀬巳喜男:映画の女性性』河出書房新社、2005年、179ページ。
*4:水木洋子「山の音/第一稿(原稿)」の「278 287」と記されたページ。「元気な」という部分は行間にあとから書き足されている。原稿用紙は200字詰めで、各ページの上部に藤本真澄の独立プロ「FUJIMOTO PRODUCTION」の名前があしらわれていた。字は青かった。
*5:「第一稿(原稿)」の「268 277」と記されたページ。「(と元気な声)」の部分もあとから書き足されていた。「あ」の1文字の削除も「元気な声」の加筆とセットで行われたのだろう。また、「(Filter)」の部分は縦書きの原稿用紙の1マスの左右にはみ出すように横書きで書かれており、「l」は大文字のようにも見える。
*6:同じく市川市文学ミュージアム所蔵の「〔山の音〕/(構想メモ)」には、水木洋子が原作から拾い上げた音声にまつわる要素がいくつも書き留められていた。「イビキ=山の音」「菊子の◯〔嬌?〕声(女から菊子に押しよせるもの)」「信吾、会社――英子と、女の話(美人・声エロチック)」等々。ちなみに「構想メモ」の原稿用紙には「映画は大映」のロゴがあしらわれていた。『あにいもうと』(成瀬巳喜男監督、1953年)の執筆に使った残りだろうか。
*7:評価された具体的な理由は未確認だが、録音の下永尚は『山の音』の仕事で日本映画技術録音賞や東南アジア映画祭録音賞を受けている。
*8:「實はナラタージュで狡く逃げてんです」という成瀬巳喜男の発言もある。「『乙女ごころ三人姉妹』合評」『映画之友』第13巻第4号、1935年4月、79ページ。