リチャード・リンクレイター『ヌーヴェルヴァーグ』のつなぎ間違い

La réalité, c'est pas raccord.——Jean-Luc Godard (?)
現実とは、つながるものではない。――ジャン=リュック・ゴダール(?)

回転する映写機の大写しののち、客席からスクリーンに視線を投げかける人物を正面から捉えたショットが4つ続く。それぞれ白字で名前が表示される――ジャン=リュック・ゴダール、フランソワ・トリュフォー、シュザンヌ・シフマン、クロード・シャブロル。

リチャード・リンクレイターの『ヌーヴェルヴァーグ』(2025年公開)では、カメラ目線の人物に白字で名前を重ねる手法が数十回*1にわたって繰り返されるが、こちら向きの視線や不動に近い姿勢が物語上の文脈で説明できるのはほとんどこの冒頭の4人だけである*2。ほかの数十人は物語の時間から切り離れたショットで紹介され、そのあとで物語内に位置づけが可能な(再)登場を果たすという順番になっているからだ。小津安二郎的というべきか、特権的なショットを立て続けに享受しえたこの4人組がこの映画を始め、終えることになるだろう。

ゴダールの『勝手にしやがれ』(1960年公開)の制作過程を映画にするにあたり、リンクレイターは「リハーサル・マニフェスト」を掲げ、ゴダールの即興的なやり方には倣わない旨を出演者やクルーに伝えていた*3。カメラの前後で綿密な計画や準備を行うとともに、『ヌーヴェルヴァーグ』を1959年のフランス映画として作るという技術上の戦略を取ったのだという。実際、タイトルの右下には “copyright © 1959” の文字が読まれ、全編を通じてスタンダード・サイズの白黒画面にフィルム・グレインが散りばめられているほか、セリフや効果音もおそらくモノラルに近い処理がなされている*4

1959年――『勝手にしやがれ』以前というほどの意味で理解してよいだろう――のフランス映画を2025年に作るとは、何を意味するのか。第一に、ヌーヴェル・ヴァーグがなかったふりをして古典期のようなものへの回帰を装うことになる。この点で、「ゴダールなら(『ヌーヴェルヴァーグ』を)とても気に入っただろう」というプロデューサーのミシェル・ペタンによる発言*5に手放しで賛同することは難しい。リンクレイターの功績を見いだすとすれば、映画史上の意義などとは無縁にも映るところで拍子抜けするほど単純明快な映画を撮り上げ、仲間と集まれば映画ができるし新たな波さえ起こせるという勘違いを生みつつありそうな点だと思う。

この選ばれた時代錯誤は第二に、『勝手にしやがれ』が次々と実演してみせたような規則違反を改めて禁止する効果を持つ。『ヌーヴェルヴァーグ』では、運転席の人物(ゴダール)を助手席から捉えたとしても彼がこちらを覗き込んでくることはない*6し、助手席に座る人物(ロベルト・ロッセリーニ)を斜め後ろの席から捉えたとしても、同じ構図がジャンプ・カットでつながれることはない*7

だが、「当時の映画にありえなかったショットは1つもない」とまで言ってみせるとき*8、リンクレイターは嘘をついている。上述した人物紹介のショットの大半は、1959年のフランス映画に挿入されえたとは考えにくく、つなぎ間違いと呼べる位置にあるからだ。前後と連続しえない異質な時空間が割り込むこれらのつなぎは、『勝手にしやがれ』以前のフランス映画よりも、事件を描く本編に(偽の)インタヴュー映像が差し挟まれるリンクレイターの『バーニー/みんなが愛した殺人者』(2011年公開)のほうに近い*9

それをつなぎ間違いと呼ぶかどうかは措くとして、『ヌーヴェルヴァーグ』には古典的な規則を破った編集(および撮影)がもう1種類ある。向かい合う二者を順に捉える際に、二者を結んだいわゆる想像線を踏み越えたつなぎが、2つの場面で使われているのだ。作中でスクリプターのシュゾン・ファイユが説明するように、視線が合っている印象を損なうとされるつなぎである。その1つは、ゴダールとプロデューサーのジョルジュ・ド・ボールガールがカフェで喧嘩をする場面であらわれる。ここでの合わない視線はあとで解消するための布石のように機能し、最終盤では同じ2人が鏡も用いた視線の一致の強調によって和解を果たしていた。

終盤、ゴダールとジーン・スィーバーグの別れの場面にあらわれるもう1つが慎ましくも素晴らしい。出演場面の撮影をすべて終えたスィーバーグが共演者らと抱擁を交わし、ゴダールの番がやってくる。2人はぎこちなく上体を近づけ合うが、スィーバーグが右手でゴダールの左腕に触れ、それ以上の接近は阻まれる。スィーバーグの背面越しにやや左側を向いたゴダールを捉えたショットに、想像線を越えて同じ側を向いたスィーバーグのショットが続く。視線の不一致とスクリーン上での姿勢の共鳴。『勝手にしやがれ』のつなぎ間違いが映画を決定的に変えてしまうことを、2人はまだ知らない。

ところでリンクレイターは、ゴダールのフィルモグラフィにも「ヌーヴェルヴァーグ」という題の映画(1990年公開)があることをどう考えているのだろうか。

(No.0029)

*1:公式サイトの「人物ガイド」には46人が掲載されている。なお、この文章ではゴダールを演じたギヨーム・マルベックをゴダールと呼ぶなど、『ヌーヴェルヴァーグ』のフィクションに同調してみることにする。

*2:例外はあと2人いる。片方は『大人は判ってくれない』(1959年公開)を見ている客席のジャン・コクトーであり、名前の表示が済むとカメラは左へのパンで隣席のトリュフォーを映し出す。もう片方は誕生日を祝われているらしいフランソワーズ・アルヌールであり、彼女が登場のショットでケーキの蝋燭を吹き消すと、そのまま映画はパーティの描写を続けていく。

*3:「リハーサル・マニフェスト」については以下に簡単にまとめた。

*4:ただし、作品情報を見ると5.1chとされている。

*5:下の動画の4分台終盤を参照。ゴダールと交友があったペタンは『ゴダールのリア王』(1987年公開)に出演しており、注8の動画の9分台以降では交友関係が始まった経緯を語っている。

*6:ただし、« FIN » のマークの直前に映画が見せる最後のイメージは、レンズ・フッド越しにこちらを覗き込むゴダールの静止画である。

*7:ただし、スティル写真を担当するレーモン・コシュティエがカメラを準備する2日目の場面では、一度だけジャンプ・カットが使われていたと思う。

*8:下の動画の7分台を参照。

*9:『バーニー』の本編にも、死体を演じているはずの少年が頬を緩め、ジャック・ブラックが「笑わないでね」と肩口を叩くくだりがある。

リチャード・リンクレイター『ヌーヴェルヴァーグ』の「リハーサル・マニフェスト」

リチャード・リンクレイター『ヌーヴェルヴァーグ』(2025年公開)は、ジャン=リュック・ゴダール『勝手にしやがれ』(1960年公開)の制作過程を題材とした伝記映画である。この映画については以前、「ヌーヴェル・ヴァーグ的なシナリオの不在と、伝記映画の前提をなす実際の人物や出来事(シナリオ)への従属とのあいだで板挟みにされた状態が、『ヌーヴェルヴァーグ』のスタート地点となるだろう」と書いてみたことがある*1が、監督や出演者のインタヴューから、同作が明確かつ綿密に後者――シナリオへの(反ヌーヴェル・ヴァーグ的な)従属――の立場で作られていることが知れた。その象徴といえるのが「リハーサル・マニフェスト」である。

ジーン・スィーバーグを演じたゾーイ・ドイッチのインタヴュー記事で、そのマニフェストの冒頭が紹介されている。

当時の多くの画家やジャズ音楽家もそうしていたように、ゴダールは自発性(spontaneity)や直接性(immediacy)を求めていた。即興(improvisation)という考え方が、クールなものの代表として時代の空気をなしていたのだ。その手の自由さに達する方法は2つしかない。自発性だけで素晴らしいことができる人になること(それならそれで頑張れ!)、あるいは、とても一生懸命に努力すること――すべての場面をすべての角度から存分に検討し、場面を知り尽くし、リラックスした状態でできるようにして、自発的な即興に見えるまでになること。*2

リンクレイターが出演者やクルーに共有したこのマニフェストを、ドイッチは額に入れてオフィスに飾っているという。台詞からステップの踏み方に至るまでダンスの振付のようにリハーサルを繰り返した*3俳優たちとの準備に加えて、リンクレイターは『勝手にしやがれ』にはいもしなかった美術、衣装、録音などのクルーの貢献を強調する*4。映画作りとはたくさんの仕事である。

(No.0028)

*1:

*2:

*3:下の動画の19分台を参照。

撮影前に入念なリハーサルを行うリンクレイターの手法は、ゴダールよりロベール・ブレッソンのほうに近いといえるかもしれない(目指すところが「自発的な即興に見える」ことか「自動運動」かという大きな違いはあるが)。リンクレイターがブレッソンから受けた影響については下の文章にまとめた。

*4:たとえば、下の動画の5分台を参照。

リチャード・リンクレイターとロベール・ブレッソン

リチャード・リンクレイターは1985年に友人たちとオースティン・フィルム・ソサイエティを立ち上げ、テキサス州オースティンで上映活動を始める。いわゆるアートハウス映画や海外の映画を中心に16mmフィルムを自宅に取り寄せ、会場をおさえて上映を行ったほか、フィルムが手元にある期間は自宅で毎晩のように見返していたこともあるそうだ*1

活動を始める重要なきっかけを与えたのは、ロベール・ブレッソンの映画だったという。

『ラルジャン』(1983年公開)は84年に見ていて、翌年に映画の上映を始めた。このような団体を始める、あるいは人を集めて映画を見るにあたっての最大の欲望は、表立っては言わなかったが、可能な限り多くのブレッソン映画を見ることだったと思う。*2

初めて『ラルジャン』を見た数日間の経験について、リンクレイターは1991年刊行の雑誌に文章を寄せている(ここでは1985年夏に初めて見たとされている)。

自分でもよく理解できない何かに引き戻され、その週末は毎夕映画館へ帰っていく。分かっているのは、その映画を見るにつれて頭の中で起こっている変容が好きだということだけだ。何かが起こるべくして起こっているように感じる――自分の映画意識のより高い次元が満たされつつあるようなのだ。その週末が終わるころには、ある別様の映画言語を目撃し、存分に経験していた。こうして、映画を何であり得、何であるべきものとして受け入れるかについての定義が改められることになる。*3

その後、オースティン・フィルム・ソサイエティは1987年秋にブレッソンの大規模なレトロスペクティヴを開催する*4。リンクレイターはブレッソンに手紙を書き、返信を受け取った。

大勢が来た。100席ほどあったのだが、7作品からなるレトロスペクティヴは全て大成功だった。そしてブレッソンに手紙を書いた。刊行物は全て送り、いまとなっては恥ずかしい内容だったと思うが、世界にはテキサスのこういう中くらいの町があり、みんなであなたの映画を見て惚れ込みました、と伝えた。彼は本当に素晴らしい手紙で返事をくれた。いくつか送った質問に答えてくれた。当時彼は『ラルジャン』の次の映画を準備していたようだ。「創世記:天地創造から大洪水まで」という名前だった。できていたらどんな映画だっただろう。彼は動物たちの話をしていた。*5

リンクレイターにとって、ブレッソンの『スリ』(1959年公開)はヌーヴェル・ヴァーグの映画である。

絶対的なマスターピースだが、パリの街頭で撮られた低予算映画でもあり、フレンチ・ニュー・ウェイヴの映画だ。この映画の撮影隊は『勝手にしやがれ』(1960年公開)を制作中の撮影隊と鉢合わせていた。[…]60歳近い男性が作ったフレンチ・ニュー・ウェイヴ映画だが、同じくらい若々しく生気に溢れており、全く新しい映画言語で何より大きな問いを投げかけている。*6

1895年の映画誕生から数えると130年、ジャン=リュック・ゴダールの『勝手にしやがれ』が公開された1960年から数えるとちょうどその半分の65年となる2025年*7、リンクレイターは同作の制作過程を題材とした伝記映画『ヌーヴェルヴァーグ』を発表する。ともに主人公をミシェルと名付けた『勝手にしやがれ』と『スリ』の撮影隊が出会う一幕により、リンクレイターは「ヌーヴェルヴァーグ」の制作者としてのブレッソンをスクリーンに立ち上げて(引きずり出して)みせた。

同年に設立から40年を迎えたオースティン・フィルム・ソサイエティは、米国最大のフィルム・ソサイエティの1つとして活動を続けている*8

(No.0027)

*1:ロベール・ブレッソンの『湖のランスロ』(1974年公開)は夕飯を食べながら8回見たらしい。2015年撮影の下の動画の26分台を参照。

*2:2015年撮影の下の動画の1分台を参照。

*3:“Richard Linklater: L'Argent” in Projections 4 1/2 In Association with Positif: Film-makers on Film-making (Faber and Faber, 1995), pages 243-245.

*4:下の記事の末尾には当時のフライヤーの画像が載っている。

*5:注1の動画の27分台を参照。出演、撮影、録音、編集をほぼ1人で担ったリンクレイターの初長編『It’s Impossible to Learn to Plow by Reading Books(読書で耕作は学べない)』(1988年公開)は、場面ごとの空間の限定性などにブレッソン映画の影響がうかがわれる。

*6:注2の動画の8分台を参照。

*7:下の動画の4分台でリンクレイターが披露している計算。

*8:2025年撮影の下の動画の2分台を参照。

オースティン・フィルム・ソサイエティは30年にわたりテキサスの映画作家への助成も行っており、助成を受けたことのある作家にはジェフ・ニコルズやデイヴィッド・ロウリーなどがいる。

オリベル・ラシェ『シラート』または音の視覚化

オリベル・ラシェ『シラート』(2025年)は去年の東京国際映画祭で見た(タイトルは「Sirāt(原題)」と記されていた)。当時のメモを手がかりにこの映画について書いてみる。

映画はスピーカーの大写しで始まる。いや、スピーカーだというのは後から分かることで、とりあえず黒い直方体がいくつも見え、男たちの手によってトラックから降ろされ、砂漠の真ん中に設置される。人が集まり音楽が鳴り出すが、映像の中のスピーカーから流れている音のようには聞こえない。スピーカー自体が不動であることに加え、ショットが切り替わっても音の聞こえが変わらないせいで、むしろ映像から切り離された音が映画館のスピーカーに直接提供されているようである。音楽は代わりに、踊る集団の身体を通じて間接的に画面をうねらせている。

行方不明の娘を探しているという父親とその息子がいる。彼らはレイヴを渡り歩く一団に同行を決め、映画はロード・ムーヴィーの様相を呈する。ある晩(晩だったと思う)、スピーカーを修理する坊主頭の人物と例の父親が車内で会話を交わすのだが、このとき音が目に見える震えとして画面に定着される。唸るような低音が聞こえるのと同時に、修理の済んだスピーカー表面の振動がはっきりと映されるのだ。映画の冒頭とは対照的に、音響はより直接的な視覚化を達成し、待ち望んだ視聴覚の同期に快感すら覚える。

例の息子を乗せて停まっていた自動車が不意に後ろ向きに滑り始め、崖の下へと消えてしまう。絶望的な衝撃音が何度か響き、のちに息子の死亡が確認されたことが報告されるが、自動車や人体の成れの果てが画面に見せられることはない。視界から消し去られ、音と化した息子。

残された一行は砂漠にスピーカーを設置し、体を揺らし始める。大写しのスピーカーの表面に震えは見て取れない。と、人が凄まじい音を立てて爆発する。地雷原に足を踏み入れたようなのだ。ここへ来て音の視覚化は極限的なしかたで発露する。煙塵と爆音との完全な同期を映画に供するのと引き換えに、人は灰色の塊と化してごろりと転がる。

大概のホラー映画はケタケタ笑いながら見るのだが、この映画の終盤はもうやめてくれと身を固くしてしまった。人々が踊り狂うレイヴ映画、再会を目指す家族のメロドラマ、自動車でさまようロード・ムーヴィー、唐突に襲い来るスリラー、作中人物と一緒に身を固くして次の襲撃を待つホラー。ジャンルの雑食的な流用が功を奏した例だと思う。が、何より映像と音響が同期してほしいというこちらの願いを聞き届け、最も暴力的なしかたで突き返してくるような展開に呆気にとられた。

(No.0026)

成瀬巳喜男『山の音』または「ほんとうの声」の秘匿(前篇)

成瀬巳喜男監督、水木洋子脚本、下永尚録音による映画『山の音』(1954年)の最終盤、新宿御苑の場面において、山村聰は原節子に向かって以下の台詞を口にする。信吾は山村の、菊子は原の役名である。

信吾「さっき電話で、菊子の明るい声をきいて、ほっとした〔…〕あれが、菊子の声なんだね。菊子のほんとうの声はあれなんだね」*1

「ほんとうの声」とは何か。作中の文脈でいえば、直前の場面で山村聰が電話越しに聞いたとされる原節子の声のことである。そこでは会社の重役室で電話を受ける山村だけが映し出され、原のほうは見えも聞こえもしていない。電話中の二者を交互に映し出すことも多い成瀬映画だが、『山の音』は原の「ほんとうの声」をわれわれから遠ざけている。

代わりに『山の音』で耳にされる原節子の声は、同時代の他の映画におけるそれとは違った質を帯びているように聞こえる。たとえば『東京物語』(小津安二郎監督、1953年)や『驟雨』(成瀬巳喜男監督、1956年)などと比べて、もっさりとした特徴的な奥行きを欠き、不自然に高音ばかりが響いている印象を受けるのだ*2。『山の音』では、原の「ほんとうの声」を全編にわたって秘匿する音響上の操作が加えられているのではないか。

川端康成による原作『山の音』は、そのタイトルからして音響的な工夫を要請している。映画『山の音』は第一に、原作や脚本にあった「山の音」への言及を排除し、それらしい音を聞かせることも差し控えるという選択でこの要請に応じる。同時に、その不在の周辺には、山村聰が原節子に「御ズレ」と「緒ズレ」を続けて発音させるくだり*3や長岡輝子のいびき(と鼻をつまんでそれを一時停止させる山村)、原による猫の鳴き真似、「ひどく風邪をひいたよう」で「エロチック」な声の愛人など、音声をめぐる挿話が多く配されている。夫の上原謙に「子供」と揶揄される菊子を33歳の原節子が演じる同作において、その声をあえて高く響かせることは、他の繊細な主題や演出の配置と整合性があるといえる。

この仮説を確かめるべく、まずは原作にない「ほんとうの声」という主題が脚本に導入された経緯(の一端)を調査した。

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水木洋子の直筆による脚本の第一稿が、市川市文学ミュージアムに所蔵されている。その最終場面に「先刻の元気な電話の声をきいて、これが菊子の声だと思った」*4という信吾の台詞はあるが、「ほんとうの声」という文言は見られない。

最終稿とのより決定的な違いは、それに先立つ電話の場面にある。電話の向こうの原節子の台詞が、「Filter」という指示――電話を通したように声をくぐもらせる効果を指すのだろう――とともに明記されているのである。そのやり取りの冒頭を書き取った。

信吾「あ、もしもし、‥‥菊子?」
菊子の声「(Filter)はい。、お父様?(と元気な声)」*5

第一稿の時点で、水木洋子は電話のやり取りをすべて聞かせ、「Filter」越しの声だけを「元気な声」と位置づけることを想定していた*6。つまり、撮影稿に至る改稿の過程で、「ほんとうの声」に台詞で言及し、かつその声は観客に聞かせない、という互いに連動する変更が加えられたことになる。その経緯や改稿途中の脚本は調べられていないが、ここには成瀬巳喜男を筆頭に演出方針を決める何者かの介入があったと考えたい衝動に駆られる。原節子の声をめぐる仮説が、間接的に裏づけられうるからだ。

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続いて調査すべきは、『山の音』の原節子の声が与える甲高さの印象の原因である。録音・整音段階の意匠である*7と示したいところだが、当時の音響技術(というか音響技術全般)にまったく通じておらず、原の発声の使い分け、フィルムの保管やディジタル化の過程で生じた技術的不備、あるいは単なる聞き違いといった可能性も排除できない。いつになるかは分からないが、この点が解明できたら後篇を書くつもりでいる(誰かが先に、あるいは一緒に解明してくれるならそれも歓迎したい)。

成瀬巳喜男は初のトーキー監督作『乙女ごころ三人姉妹』(1935年)におけるナラタージュに始まり*8、遺作『乱れ雲』(1967年)における映像に同期しない音声の多用に至るまで、物語映画の枠内で映画の音声を不断の実験にさらした人物でもある。中には高峰秀子がバスガイドらしい発声を目指して自らの声を矯正してゆく『秀子の車掌さん』(1941年)という中編もあるほか、特異な位置づけのナレイションも多くの作品で用いている。題にも台詞にも音声への言及がある『山の音』の生成過程に迫ることができれば、成瀬のフィルモグラフィをたどり直す有効な足がかりになると思う。

(No.0025)

*1:水木洋子「シナリオ 山の音」『キネマ旬報』1953年12月上旬号、120ページ。

*2:ただし、『めし』(成瀬巳喜男監督、1951年)には場面によって原節子の声が『山の音』と同程度に高く薄く聞こえるところもある。また、これらは配信やDVDで視聴して受けた印象であり、フィルム上映で比較をしたことはまだないことも書き添えておく。

*3:阿部嘉昭はこれを「強制によって原という楽器を原自身に「演奏」させ」るやり取りと形容した。『成瀬巳喜男:映画の女性性』河出書房新社、2005年、179ページ。

*4:水木洋子「山の音/第一稿(原稿)」の「278 287」と記されたページ。「元気な」という部分は行間にあとから書き足されている。原稿用紙は200字詰めで、各ページの上部に藤本真澄の独立プロ「FUJIMOTO PRODUCTION」の名前があしらわれていた。字は青かった。

*5:「第一稿(原稿)」の「268 277」と記されたページ。「(と元気な声)」の部分もあとから書き足されていた。「あ」の1文字の削除も「元気な声」の加筆とセットで行われたのだろう。また、「(Filter)」の部分は縦書きの原稿用紙の1マスの左右にはみ出すように横書きで書かれており、「l」は大文字のようにも見える。

*6:同じく市川市文学ミュージアム所蔵の「〔山の音〕/(構想メモ)」には、水木洋子が原作から拾い上げた音声にまつわる要素がいくつも書き留められていた。「イビキ=山の音」「菊子の◯〔嬌?〕声(女から菊子に押しよせるもの)」「信吾、会社――英子と、女の話(美人・声エロチック)」等々。ちなみに「構想メモ」の原稿用紙には「映画は大映」のロゴがあしらわれていた。『あにいもうと』(成瀬巳喜男監督、1953年)の執筆に使った残りだろうか。

*7:評価された具体的な理由は未確認だが、録音の下永尚は『山の音』の仕事で日本映画技術録音賞や東南アジア映画祭録音賞を受けている。

*8:「實はナラタージュで狡く逃げてんです」という成瀬巳喜男の発言もある。「『乙女ごころ三人姉妹』合評」『映画之友』第13巻第4号、1935年4月、79ページ。

リチャード・リンクレイター『ブルームーン』は「ブルームーン」を映さない

Sounds like you're writing my obituary.(あなたは私の追悼文をみたいに

リチャード・リンクレイター『ブルームーン』(2025年、日本語字幕は齋藤敦子)は「ブルームーン」を映さない。といっても、2つのOの字を一部重ね合わせた “BLUE MOON” の題字は2度表示されるし、同名曲のクレディットも画面を流れていくので、あくまで月そのものが映らないという意味である*1。他方、音声の次元では、ロレンツ・ハート作詞、リチャード・ロジャーズ作曲による1934年の曲の題名や歌詞の一部として、“blue moon” の2語8文字はたびたび口にされている。曲と無関係に月そのものに触れた台詞はマーガレット・クウォーリーが言う「切って落とした指の爪の一片のような月」(a fingernail clipping of a moon)という表現*2のみであり、その細さの描写によって「ブルームーン」(青く見える満月)からは距離が取られている。

実体と文字と音声のあいだの隔離状態は、映画のプロローグにあたる冒頭の数分で早くも呈示される。タイトルに続き、2つの文が順に画面に現れる。オスカー・ハマースタイン2世によれば「彼は活発で動的で、近くにいると楽しかった」が、メイベル・マーサーによれば「彼は私が知る限り最も悲しい男だった」。互いに矛盾するようにも思われる*3内容のこれらの書き言葉に続き、雨の夜道を歩く人物の後ろ姿が画面に映る(作中で数えるほどしかない主人公のフル・ショット)。正面に回ったカメラは、道端に倒れてあられもなく罵倒語を口にする彼の姿を捉えつつ、後ずさりながら浮遊する。ここでロレンツ・ハートの死去とその作詞家としての功績を伝える音声が流れるのだが、その内容が文字や映像と直ちに1つの像を結ぶ印象は得られない。

こうした緊張関係は、映画の主人公が作詞家であることと親和的である。月でもマーガレット・クウォーリーでもよいが、創作の着想源としての実体があるとする。それらに触発されて紡がれた言葉は、実体とのあいだに意味上の関係を取り結ぶだけでなく、言葉としての即物的な余剰*4を獲得する。語数や字数や字形を伴う文字、あるいは特定の響きや照応関係を形作る音声といった姿を纏い出すのだ。「ブルームーン」は歌の一部として口にされ、あるいは文字にされ、月そのものからは切り離れたままに映画の中を流通する*5

ロレンツ・ハートの詞の革新性は、サイモン・デラニーの演じるオスカー・ハマースタイン2世によるなら、話し言葉の歌詞化、あるいは歌詞の話し言葉化を達成したことにあった(「あなたはアメリカの歌をついにアメリカの話し言葉(American speech)のような響きにした」*6)。同様に、というかその代わりに、『ブルームーン』の話し言葉にはたびたび書き言葉が侵入してくる。イーサン・ホークは『オクラホマ!』という新作舞台の題に含まれる感嘆符(exclamation point)をたびたび問題にし、「感嘆符の必要を感じるようなタイトルとは関わらないほうがいい」とまで言い放つ(リンクレイターは『エブリバディ・ウォンツ・サム!! 世界はボクらの手の中に』(2016年)という感嘆符を2つも冠した映画を作っている)。また、マーガレット・クウォーリーに対して「酔った」(drunk)という語を斜体にする(italicize)よう提案するくだりもあるが、これは「お母さんにこう言いなさい」というような話し言葉の次元での無茶な要求――「斜体で言え」――である。終盤でクウォーリーが口にする決定的な “not that way” のひと言――(あなたを愛しているけれど)そういうしかたの愛ではない――は、かつてのホークが別の女性にも言われ、その3語10文字(three little words, ten little letters)をあらかじめ数え上げていた表現だった。

冒頭に引いた1文(斜体は引用者による)は、階段の踊り場でイーサン・ホークがアンドルー・スコットに言う台詞である。「君は私の最も古い友人だ」「君はユニークだ」などと言うスコットをあしらうような文脈だが、ここでは「書いている」という文字の次元の動作が「聞こえる」という音声に短絡させられている。冒頭で示された追悼文(obituary)と追悼演説(eulogy)のあいだの距離が、話し言葉の次元で埋め合わされているともいえるだろう*7

✕  ✕  ✕

リンクレイターにとって、書き言葉と話し言葉のあいだの往還はかねてからの関心事である。たとえば、『ブルームーン』より6年ほど前の1937年を舞台にし、ロジャーズ&ハートの曲を序盤のレコード店の場面で使ってもいた『僕と彼女とオーソン・ウェルズ』(2008年)では、ウィリアム・シェイクスピアの書いた戯曲『ジュリアス・シーザー』の上演が主題となっている。ブルータス役と演出を兼ねるオースン・ウェルズをクリスチャン・マッケイが演じている――役(ウェルズ)も役の役(ブルータス)も同質の演技で通しているのが面白い――のだが、ザック・エフロンが台本の表現をわずかに言い換えると、マッケイはシェイクスピアの書いた通りに演じるようにと指示を出す。クレア・デインズの役名(Sonja)の綴りが複数回言及されていたり、マッケイが独自の記号で台本に書き込んだ演奏者への指示がうまく伝わらないという挿話があったりと、『ブルームーン』との関連が多く指摘できる映画である。ほかにも近作でいえば、『バーナデット ママは行方不明』(2019年)のケイト・ブランチットは音声入力のために(『ブルームーン』のイーサン・ホークと同じく)感嘆符や疑問符(question mark)を声に出していたし、『ヒットマン』(2023年)の終盤にはグレン・パウェルが入力したスマートフォン画面上の指示をアドリア・アルホナが読み、その演出通りに演技を披露する場面もあった。

誰かの思考や経験が言葉となること、そして書かれた文字が受肉されることは、映画制作の根幹に関わる主題である。実話を踏まえていたり演じる人との共同作業で書かれていたりする脚本を、適切な演出と演技によって具体化する、というプロセスを、リンクレイターは映画の題材として頻繁に取り込む。これは、「ビフォア」三部作(1995年〜2013年)をそれぞれ10年弱の間隔を空けて発表し、『6才のボクが、大人になるまで』(2014年)を十数年間にわたって撮影し、イーサン・ホークの加齢(円熟?)を待つためだったという10年超の準備期間を経て『ブルームーン』を作ったような、俳優の経年変化への関心とも地続きのはずである。

日本では7月に公開されるリンクレイターのもう1つの新作『ヌーヴェルヴァーグ』(2025年)は、ジャン=リュック・ゴダール『勝手にしやがれ』(1960年)の撮影現場が舞台である。ヌーヴェル・ヴァーグによって「という関係が転倒させられ、という新たな関係が打ち立てられた」*8のだとすれば、ヌーヴェル・ヴァーグ的なシナリオの不在と、伝記映画の前提をなす実際の人物や出来事(シナリオ)への従属とのあいだで板挟みにされた状態が、『ヌーヴェルヴァーグ』のスタート地点となるだろう。その試みがどのような映画に結実しているか、(成否を問わず)非常に楽しみにしている。

(No.0024)

*1:翻訳字幕における「ブルームーン」や「月」といった文字(列)はカウントしないことにする。

*2:齋藤敦子による字幕はこれを「整えた爪のような月」というような訳――少しだけ欠けた丸という意味のつもりだろう――を当てていたが、誤りである。ほかに「90」と言っているのを「99」と訳していたところもあり、手抜き以外の説明を思いつけずにいる。

*3:イーサン・ホークは、相容れない要素を併せ持つ人物としてのロレンツ・ハートについて、下の動画の9分台で以下のように語っている。

彼はどの部屋にいても最も小さい人だったし、同時にどの部屋にいても最も大きい人でもあった。彼は最も勇敢だったし、同時に最も神経質で不安を抱えていた。彼はゲイであり、同時に1人の女性に恋焦がれてもいた。彼は矛盾(contradictions)でいっぱいだった。彼に関するあらゆる物事が複雑で、それがこの役を演じることをある種とてもスリリングにしていた。

後述する文字と音声のあいだの引き裂かれも、この「矛盾」のリストに含めるべきかもしれない。

*4:『ブルームーン』の言葉が帯びる余剰には多義性や駄洒落のたぐいもあり、そのうちいくつかは遊戯的な自己言及である。作中で言及される「ショット」は第一にショット・グラスに注がれたウィスキーを意味するが、それを「視覚的な詩」(visual poem)と評して飲まずに眺める前半のイーサン・ホークは悪戯っぽい目配せを映画に向けている。また、ホークが画面奥のパトリック・ケネディをカウンターの隣席に誘う台詞 “Join me for a shot?” は、くどいほどに逐語訳をすれば「1つのショットのために私に加わらないかい?」のようになる。誘いに応じたケネディがこちらへやって来ることで、横並びの2人を捉えた「1つのショット」が晴れて実現する。さらに、リチャード・ロジャーズのニックネイムである「ディック」が男性器という意味も持つことは作中でも話題にされているが、同じファースト・ネイムを持つリンクレイターの自虐のようでもある(リンクレイターの愛称は「リック」らしいが)。

*5:「ブルームーン」の歌詞は、各4行からなるブロックを4種類並べた形式をしている。行末に現れるのべ16の単語のうち、前後2行以内の末尾と韻を踏まないのは2語だけであり、1つは “blue moon” の “moon”、もう1つはロレンツ・ハートのファミリー・ネイムと同音の “heart” である。月とハートの孤独な共鳴が音の並びに織り込まれている。

*6:イーサン・ホークは「やめてくれ。追悼演説は嫌いだ、特に自分宛のは」(Stop. I dislike eulogies, especially my own.)と応じる。

*7:詞(文字?)を書くオスカー・ハマースタイン2世に褒められたときには追悼演説と呼んで嫌がり(注6)、曲(音声?)を与えるリチャード・ロジャーズの場合は追悼文と呼んであしらう、という逆転が起きている。

*8:廣瀬純『美味しい料理の哲学』河出書房、2005年、63ページ。

ホン・サンス、「水」の二部作:『水の中で』『スユチョン/小川のほとりで』

ホン・サンスの長編第29作『水の中で』(2023年)と第32作『スユチョン/小川のほとりで*1』(2024年)は「水」の二部作を構成する(日本語字幕はどちらも根本理恵)。それぞれの原題が「水」を意味する文字で始まる*2ことに加え、両作の語る内容や映像・音響の構成も「水」に絡めた読解を要請している。

フィルモグラフィを見れば明らかなように、水の縁語をタイトルに含むホン・サンス映画はこの2作が初めてではない。初長編『豚が井戸に落ちた日』(1996年)の「井戸」*3を皮切りに、第2作『カンウォンドのチカラ 강원도의 힘』(1998年)や第23作『川沿いのホテル 강변호텔』(2018年)の「강(江)」、第7作『浜辺の女 해변의 여인』(2006年)や第19作『夜の浜辺でひとり 밤의 해변에서 혼자』(2017年)の「해변(海辺)」といった先例があるからだ。だが、『豚が井戸に落ちた日』に井戸は(豚も)登場しないし、『カンウォンドのチカラ』の場合の「江」の字はカンウォンド(江原道)という地名の一部に過ぎず、残りの3作についても映画の舞台となる空間の説明として容易に理解ができる*4。他方、『水の中で』と『スユチョン』は「水」そのものを冠し、前者は水中という並大抵でない舞台設定を、後者は「水踰川」と表記できる架空の川の名前を題としている。以下では、この「水」の活躍ぶりをそれぞれの映画に即して見てみたいと思う。

*5

『水の中で』の前半に、水中を泳ぐ魚を見下ろしたショットがある。大半のショットでフォーカスが主要な被写体から外れている同作にあって、このショットの魚が水面の揺らぎによってぼやけて見えるのか、あるいはそもそもフォーカスが合っていないのかは判然としない*6。「水の中で」とは、揺らめく水面を隔てたような本作の視界の謂でもあるだろう。

減退させられた視界は、このショットに先立つ場面で端的に前景化する。3人の若者が道端に咲く1輪の黄色い花*7を話題にするが、ピンボケの画面はぼんやりと黄色が見える気もするという程度以上の知覚を許さないのだ。ここで、聞こえるものが見えないという事態が導入される*8

より純粋に声としてのみ現れるものを、『水の中で』は「幽霊」*9と呼ぶ。合宿中の3人が食事を取っていると、キム・スンユンは前の晩に「しっかりしろ」という罵声が聞こえたと語り始める。主演のシン・ソクホが見た夢の中での出来事をホン・サンスが脚本に取り入れたという*10が、これは気まぐれに採用された挿話ではなく、出どころが不明のまま響く声という主題に与するものと考えるべきである。続く場面でキム・スンユンはハ・ソングクとぼやけた画面の奥へ歩きながらこの声を話題にし、その主を「幽霊」と名付ける(「幽霊には勝てません」)。小さくなっていく2人の後ろ姿も声のみの「幽霊」に近づきつつある。

『水の中で』における最大の「幽霊」は、(制作やスティル撮影を兼任しながら)声でのみ出演するキム・ミニである。まずは電話越しの声として、かつて共作した曲を制作中の短編映画に使うことをシン・ソクホに許可する。映画の最後にはその曲がスマートフォンで再生され、歌声がギターや波の音に重なる。キム・ミニはどちらの場合も特定しがたい異質な時空間から声を響かせ、主人公を「水の中」へと後押ししている。

「スユチョン」が字幕で「水踰川」と表記されるのは、撮影地の近くに水踰(スユ)という駅が実在するかららしい*11。「水ヲ踰(こ)エル川」と書き下せば「水」の二部作の展開を宣言する――『水の中で』を「踰エル」――ものとも読めるかもしれないが、この架空の名前を与えられた川の岸に腰掛け、小ぶりなスケッチブックに筆を走らせるキム・ミニの姿で『スユチョン』は始まる。

『水の中で』の「幽霊」が、ここでは大学で教えるテキスタイル作家を演じている。彼女は川の水紋を着想源とした「フローイング ウォーター」シリーズの制作を「上流へ遡っていく」ように進めており、漢江、中浪川に次いで「スユチョン」の準備作業に着手している*12。映画の最終盤、鰻の店の前の小川が「大学の前の水踰川(スユチョン)まで続いてる」と聞いたキム・ミニは、「スユチョン」のさらに上流を探るべくフレイム外へと出かけていく。

すべてのショットがディープ・フォーカスで撮られている『スユチョン』にも、声の出どころの捉えがたさが問題化される場面がある。学祭に向けた練習で舞台に上がった4人のうち、客席に背を向ける格好で座るよう指示された学生が「後ろ向きで顔が見えません」と不平を述べるのだ。演出を担うクォン・ヘヒョは「舞台を行き来するから」と応じるが、公演本番と思しき場面に「行き来」は見られない。その後の打ち上げの席のキム・ミニも同様に場面を通じて後ろ姿を見せており、声の発生源が隠されている。

声の出どころの視認を妨げる別の仕掛けとして、夜の屋外の暗闇が挙げられる。キム・ミニと学生たちが校庭で語らう場面、また木々のもとで最大6人が立ち話をする中盤の場面を包む闇は、ホン・サンス映画では見たことがないたぐいのものである。

さらに、画面外から声が聞こえ、その出どころがカメラのパンによって遅れて画面に回収される、というショット構成もたびたび見られる。たとえば序盤の講義室ではクォン・ヘヒョに質問をする学生が、中盤の作業室では訪問中のクォン・ヘヒョが、パンにより遅れて画面に示されていた。流れてくる川を上流へ遡るように、聞こえてくる声をその源へたどるカメラの運動。ホン・サンスにおける水とは音のことではないか、との見立ても誘う。

『スユチョン』の最終ショットは、無人の川辺を映したパンアップで始まる。画面外からキム・ミニを呼ぶクォン・ヘヒョの声――1つ前のショットから鳴き続けている犬や鳥と同様、もはや声の主として画面に映ることはない――が割れ気味に響き、奥からキム・ミニが現れる。その出現を大喜びで迎えるようなズームイン。岩の転がる地面をバランスを取りつつ歩いてくるキム・ミニが、探索の成果を報告する――「何もありません」。フリーズフレイムにより映像がキム・ミニとともに動きを止め、音の流れだけを残して映画は終わる。

『水の中で』の最後で、自身の監督作品に主演するシン・ソクホは海の奥へ歩みを進め、ぼやけた画面の揺らぎの狭間に消失する。巨大な水塊と一体になった彼は、「幽霊」としての――あるいは凍結された一瞬としての――キム・ミニに合流するとともに、「何もない」地点に到達したのだろう。

(No.0023)

*1:原題を音訳した「スユチョン」は2023年の東京フィルメックスでのタイトル、英題 “By the Stream” に倣って付けられた「小川のほとりで」は2025年の劇場公開時のタイトルである。以下では前者を用いる。

*2:『水の中で』の原題は “물안에서” であり、「물」は朝鮮語の固有語で水を意味する。「スユチョン(수유천)」の「ス(수)」は「水」の字の朝鮮語読みである。

*3:「井戸」は朝鮮語で「우물」であり、水を意味する「물」の字が使われる。

*4:ただし、デニス・リムが指摘する通り、『夜の浜辺でひとり』に「夜の浜辺」の場面はないため、このタイトルも一筋縄ではいかない。Dennis Lim. Tale of Cinema. Fireflies Press, 2022. Page 43. 同書の概要は以下にまとめた。

*5:『水の中で』ベルリン国際映画祭のウェブサイトより。https://www.berlinale.de/en/2023/programme/202313780.html

*6:このショットの局所的に陽光がきらめく瞬間(画像)は忘れがたく、『映画館の恋』(2006年)の映画内映画の最終ショットにおいて絶好のタイミングで雲に隠れた太陽を思い出させる。

*7:映画の後半には群生する黄色い花のショットがあり、目を覚ますシン・ソクホの直前に配置されている。その後シン・ソクホは短編映画の構想を具体化させていくから、夢に見た花が着想源として機能したとの解釈も許される。

ホン・サンスは『Small Flower』(2022年)という短編において、ややフォーカスの外れた黄色い花に3つの格言を聞き取ってみせている。

*8:須藤健太郎は「ピンボケであることに美学的にも主題的にも整合性が与えられているのは、たぶん(…)ラストショットだけだと思う」と書いているが、以上で取り上げた「水の中」のショットや黄色い花のロング・ショットをカウントに入れてもよいはずである。一昨年の『WALK UP』(2022年)評と合わせて必読のホン・サンス論だと思う。「究極の映画、さらにその先へ:ホン・サンス『水の中で』」『かみのたね』フィルムアート社、2026年2月。

*9:以下、台詞からの引用は採録シナリオに基づく。「『水の中で』採録シナリオ」古木凌採録、『月刊ホン・サンス』Vol.3、60~73ページ。また、「『小川のほとりで』採録シナリオ」古木凌採録、『月刊ホン・サンス』Vol.2、68~97ページ。

*10:シン・ソクホ、月永理絵「シン・ソクホ インタビュー:ホン・サンス監督との作業は本当に楽しいんです」『月刊ホン・サンス』Vol.3、21ページ。

なお、別のインタヴュー記事では「しっかりしろ」という台詞がシン・ソクホ本人の寝言だったとされており、微妙に食い違う描写がそのままに併存するホン・サンス的な事態が起きている(どちらかの翻訳ミスだと思う)。シン・ソクホ、荒井南、浅井美咲「『水の中で』シン・ソクホインタビュー 「思いもよらないことを信じ、委ねる」」NOBODY編集部。 https://www.nobodymag.com/journal/archives/2026/0111_2244.php

*11:齋藤有希「『小川のほとりで』ロケ地紹介」『月刊ホン・サンス』Vol.2、50ページ。

*12:ここでの関心からは外れるが、同じ水の1つの流れが3つの別々の名前と作品を生むことは、3股をかけた1人の男(ハ・ソングク)が各瞬間にはそれぞれの相手との関係を真剣に考えていたらしいという『スユチョン』の挿話と重なる。たびたび浮気を描いてきたホン・サンスによる浮気心の擁護論といったところか。