ホン・サンスの長編第29作『水の中で』(2023年)と第32作『スユチョン/小川のほとりで*1』(2024年)は「水」の二部作を構成する(日本語字幕はどちらも根本理恵)。それぞれの原題が「水」を意味する文字で始まる*2ことに加え、両作の語る内容や映像・音響の構成も「水」に絡めた読解を要請している。
フィルモグラフィを見れば明らかなように、水の縁語をタイトルに含むホン・サンス映画はこの2作が初めてではない。初長編『豚が井戸に落ちた日』(1996年)の「井戸」*3を皮切りに、第2作『カンウォンドのチカラ 강원도의 힘』(1998年)や第23作『川沿いのホテル 강변호텔』(2018年)の「강(江)」、第7作『浜辺の女 해변의 여인』(2006年)や第19作『夜の浜辺でひとり 밤의 해변에서 혼자』(2017年)の「해변(海辺)」といった先例があるからだ。だが、『豚が井戸に落ちた日』に井戸は(豚も)登場しないし、『カンウォンドのチカラ』の場合の「江」の字はカンウォンド(江原道)という地名の一部に過ぎず、残りの3作についても映画の舞台となる空間の説明として容易に理解ができる*4。他方、『水の中で』と『スユチョン』は「水」そのものを冠し、前者は水中という並大抵でない舞台設定を、後者は「水踰川」と表記できる架空の川の名前を題としている。以下では、この「水」の活躍ぶりをそれぞれの映画に即して見てみたいと思う。
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『水の中で』の前半に、水中を泳ぐ魚を見下ろしたショットがある。大半のショットでフォーカスが主要な被写体から外れている同作にあって、このショットの魚が水面の揺らぎによってぼやけて見えるのか、あるいはそもそもフォーカスが合っていないのかは判然としない*6。「水の中で」とは、揺らめく水面を隔てたような本作の視界の謂でもあるだろう。
減退させられた視界は、このショットに先立つ場面で端的に前景化する。3人の若者が道端に咲く1輪の黄色い花*7を話題にするが、ピンボケの画面はぼんやりと黄色が見える気もするという程度以上の知覚を許さないのだ。ここで、聞こえるものが見えないという事態が導入される*8。
より純粋に声としてのみ現れるものを、『水の中で』は「幽霊」*9と呼ぶ。合宿中の3人が食事を取っていると、キム・スンユンは前の晩に「しっかりしろ」という罵声が聞こえたと語り始める。主演のシン・ソクホが見た夢の中での出来事をホン・サンスが脚本に取り入れたという*10が、これは気まぐれに採用された挿話ではなく、出どころが不明のまま響く声という主題に与するものと考えるべきである。続く場面でキム・スンユンはハ・ソングクとぼやけた画面の奥へ歩きながらこの声を話題にし、その主を「幽霊」と名付ける(「幽霊には勝てません」)。小さくなっていく2人の後ろ姿も声のみの「幽霊」に近づきつつある。
『水の中で』における最大の「幽霊」は、(制作やスティル撮影を兼任しながら)声でのみ出演するキム・ミニである。まずは電話越しの声として、かつて共作した曲を制作中の短編映画に使うことをシン・ソクホに許可する。映画の最後にはその曲がスマートフォンで再生され、歌声がギターや波の音に重なる。キム・ミニはどちらの場合も特定しがたい異質な時空間から声を響かせ、主人公を「水の中」へと後押ししている。
「スユチョン」が字幕で「水踰川」と表記されるのは、撮影地の近くに水踰(スユ)という駅が実在するかららしい*11。「水ヲ踰(こ)エル川」と書き下せば「水」の二部作の展開を宣言する――『水の中で』を「踰エル」――ものとも読めるかもしれないが、この架空の名前を与えられた川の岸に腰掛け、小ぶりなスケッチブックに筆を走らせるキム・ミニの姿で『スユチョン』は始まる。
『水の中で』の「幽霊」が、ここでは大学で教えるテキスタイル作家を演じている。彼女は川の水紋を着想源とした「フローイング ウォーター」シリーズの制作を「上流へ遡っていく」ように進めており、漢江、中浪川に次いで「スユチョン」の準備作業に着手している*12。映画の最終盤、鰻の店の前の小川が「大学の前の水踰川(スユチョン)まで続いてる」と聞いたキム・ミニは、「スユチョン」のさらに上流を探るべくフレイム外へと出かけていく。
すべてのショットがディープ・フォーカスで撮られている『スユチョン』にも、声の出どころの捉えがたさが問題化される場面がある。学祭に向けた練習で舞台に上がった4人のうち、客席に背を向ける格好で座るよう指示された学生が「後ろ向きで顔が見えません」と不平を述べるのだ。演出を担うクォン・ヘヒョは「舞台を行き来するから」と応じるが、公演本番と思しき場面に「行き来」は見られない。その後の打ち上げの席のキム・ミニも同様に場面を通じて後ろ姿を見せており、声の発生源が隠されている。
声の出どころの視認を妨げる別の仕掛けとして、夜の屋外の暗闇が挙げられる。キム・ミニと学生たちが校庭で語らう場面、また木々のもとで最大6人が立ち話をする中盤の場面を包む闇は、ホン・サンス映画では見たことがないたぐいのものである。
さらに、画面外から声が聞こえ、その出どころがカメラのパンによって遅れて画面に回収される、というショット構成もたびたび見られる。たとえば序盤の講義室ではクォン・ヘヒョに質問をする学生が、中盤の作業室では訪問中のクォン・ヘヒョが、パンにより遅れて画面に示されていた。流れてくる川を上流へ遡るように、聞こえてくる声をその源へたどるカメラの運動。ホン・サンスにおける水とは音のことではないか、との見立ても誘う。
『スユチョン』の最終ショットは、無人の川辺を映したパンアップで始まる。画面外からキム・ミニを呼ぶクォン・ヘヒョの声――1つ前のショットから鳴き続けている犬や鳥と同様、もはや声の主として画面に映ることはない――が割れ気味に響き、奥からキム・ミニが現れる。その出現を大喜びで迎えるようなズームイン。岩の転がる地面をバランスを取りつつ歩いてくるキム・ミニが、探索の成果を報告する――「何もありません」。フリーズフレイムにより映像がキム・ミニとともに動きを止め、音の流れだけを残して映画は終わる。
『水の中で』の最後で、自身の監督作品に主演するシン・ソクホは海の奥へ歩みを進め、ぼやけた画面の揺らぎの狭間に消失する。巨大な水塊と一体になった彼は、「幽霊」としての――あるいは凍結された一瞬としての――キム・ミニに合流するとともに、「何もない」地点に到達したのだろう。
(No.0023)