M・ナイト・シャマラン『トラップ』または迫りくるパパシャマラン

『トラップ』(2024年、字幕は松浦美奈*1)はM・ナイト・シャマラン(以下、パパシャマラン)の最新監督作である。パパシャマランの娘でシンガーソングライターのサレカ・シャマラン(以下、娘シャマラン)が、若者を熱狂させる大スター歌手の役で出演している。

娘シャマランを(おそらくは現実の本人を超えた)大スター歌手として写し取るという難題に、パパシャマランはいかにして取り組んだのか。親バカ的な愛情や妄信などではなく、距離をめぐる機械的な手続きによってである、というのが以下で示す見立てである。これを「迫りくるパパシャマラン」現象と名付け、見るに明らかすぎる気もする展開ぶりを書き出してみる*2。パパシャマランとは作中人物を操る演出家であり、映画のカメラであり、娘シャマランのおじを演じる俳優である。

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娘シャマランは映画の最初のショットでTシャツにプリントされた顔として導入される。本人が初めて登場する*3のは、大勢の追っかけファンに見下ろされながらバスを降り、裏口からライヴ会場に入っていくときである。ここで娘シャマランを捉えたショットはどれもロング・ショット(人物が遠くに小さく見えるショット)であり、このカメラ=パパシャマランとの距離は30分以上にわたって堅持されることになる。

親子を演じるジョシュ・ハートネットとアリエル・ドノヒューがライヴ会場の席に到着する。パフォーマンスが始まると、背後のモニターが娘シャマランを大写しにすることはあれ、映画のカメラ=パパシャマランは律儀に娘シャマランとの距離を保っている。舞台からある程度離れた席に陣取った親子*4のもとにとどまることで、娘シャマランを正面からのロング・ショットでしか撮れないという制約を、パパシャマランは自らに課しているのだ。合間でハートネットがなんやかんや画策しているが無視しておく。

転機は俳優パパシャマランの登場である。わざわざ娘シャマランの「母の兄弟」を名乗ることで父性を隠そうとするパパシャマランは、任意の観客を娘シャマランに接近させる権限を握っている。ただちに作中人物どうしの距離が縮まるわけではないが、ハートネットが娘シャマランへの接近というパパシャマランのプロジェクトに明確に同調し始めた直後、初めて舞台上の娘シャマランがフル・ショット(全身がちょうど映るくらいのショット)で映し出される。

パパシャマランの案内で、作中の親子が娘シャマランの舞台へ歩いて近づく。カメラ=パパシャマランはステージ裏から娘シャマランの後ろ姿を捉えるが、まだロング・ショットやフル・ショット以上の接近を自らに許すことはない。ドノヒューが壇上に招かれてもカメラはハートネットとともに舞台裏にとどまり、ロング・ショットの距離を保って接近の瞬間を先送りにする。

ドノヒューは舞台裏のハートネットのもとへ戻っている。いったんステージを去る娘シャマランを追って親子が移動し、カメラ=パパシャマランが舞台袖の娘シャマランをロング・ショットで捉えると、娘シャマランがこちらへ向かって歩き始める。水を飲んでから次のゲスト歌手を紹介するころまでに娘シャマランはミディアム・ショット(腰から上くらいのショット)に収まっており、これまでで最大のサイズを更新している。

ライヴの終幕後、親子は楽屋近くの通路にいる。ゲスト歌手のスコット・メスカディは楽屋の娘シャマランと言葉を交わしてから出口へ向かうが、その道中でフル・ショットからクロースアップ(肩から上くらいのショット)まで接近し、娘シャマランの動線を予告して去っていく。別の部屋に顔を出していた娘シャマランが同じ通路を(逆向きに)歩いてくることで、ついに娘シャマランのクロースアップが解禁され、パパシャマランは娘シャマランの顔を中央に捉えたクロースアップを乱用し始める。

いろいろあって娘シャマランがハートネット邸の便所に駆け込み、鍵をかける。ここでパパシャマランはハートネットを文字通り見捨てて――画面外の音に追いやって――娘シャマランの立てこもりに便乗し、狭い空間で娘シャマランのクロースアップをほしいままにする。スマートフォンでライヴ配信を行う娘シャマランは顔の一部がはみ出すビッグ・クロースアップで執拗に大写しにされる。この段階で娘シャマランのクロースアップが飽和に至り、パパシャマランは晴れて計画を完遂するのである*5

『トラップ』のパパシャマランはここまで1時間以上にわたり、娘シャマランへの接近というプロジェクトだけで映画を引っ張ってきたことになる。本筋の陰を伏流するこのサブテクストは、熱狂する観客に相対するロング・ショットによってかろうじて担保されていた娘シャマランの(かりそめの)スター性を、迫りくるパパシャマランが解体していく過程である。実際、他人の家の便所に閉じこめられ、半泣きで(他人のためとはいえ)助けを求める超クロースアップほどスター性から遠いものはない。パパシャマランが採用したのは、段階を踏んで接近していくなかで遡及的かつ相対的にスターとしての娘シャマランを仮構する、厳格な距離の戦略にほかならない。

ここまではコンサート・ヴィデオなりTV映像なりにおける距離の融解の堕落ぶりを映画の名において拒絶する力作なのではないか、などと適当なことを思いながら身を乗り出して楽しんでしまった。残りはいつも通りにパパシャマランのお片付けモードである。続編があるとすれば最後にロング・ショットで送り出される3人との距離を詰め直すスリラーになるだろうが、パパシャマランが娘シャマラン以外にここまでの執心を示すとは思われない。

No.0010

*1:監督や出演者と同時に字幕翻訳者の名前を書き記す粘着質な運動を始めようと思う。関心の所在は「誤訳される暗闇、または「官能的字幕」のほうへ - 映画駄文集」に記した。

*2:1回見ただけで適当なことを書いているため、あとで記憶違いが見つかったら黙って直します。

*3:以下ではモニター越しの映像やプリントされた画像として現れる娘シャマランは無視し、娘シャマラン本体とそのサイズにのみ注目する。

*4:周囲の観客に比べて身長が低いドノヒューにはおそらく前の観客の後ろ姿と舞台照明の変化とモニターの上半分しか見えていない(のにあんなに盛り上がっている)から、親子というより単に親とするべきかもしれない。

*5:パパシャマランではなくハートネットの役に注目すれば、娘シャマランの肩に人差し指を触れた瞬間に距離ゼロが達成されることになる。

誤訳される暗闇、または「官能的字幕」のほうへ

私たちは皆、多かれ少なかれ、翻訳者を殺してやろうと思いながら映画館を後にしたことがあるに違いない。

――阿部・マーク・ノーネス

① 堕落的字幕*1

比較的新しい記憶の限り、映画館で初めて字幕の存在自体に憤ったのはクリント・イーストウッド『クライ・マッチョ』(2021年、字幕は松浦美奈)を見たときだ。誤訳や誤字のせいなどではなく、イーストウッドを包む暗闇を過剰に白い字幕が煌々と照らしていたことが理由だった。顔に刻まれたしわに影を呼び込むことでたびたび世界の暗部を背負い込んできたイーストウッドが、この映画では闇と穏やかな和解に至っているかに見える(シルエットが大地と一体化する夕刻のロング・ショット)。90歳を超えたそのご老体は、当座の寝床としている教会の暗がりでカウボーイ・ハットを顔に乗せ、メキシコの少年に自らの過去を語る。何重にも美しいはずのこの場面だが、セリフが発せられるたびに画面では強烈な白文字が光を放っていた。字幕の出没による明るさの変化に合わせて瞳孔が忙しなく開閉し、限られた陰影の中で見るべきものを見落とさせられている気がした*2

暗い映像に声がかかる字幕付きの映画は全部そうだから、同様の例は枚挙にいとまがないが、この数週間で見た小田香『GAMA』(2023年)『Underground』(2024年)やマティ・ディオップ『ダホメ』(2024年)はどれも特に字幕の無遠慮な明るさが目についた。前の2作は沖縄戦時に住民の避難場所となったガマ(洞窟)が主要な舞台であり、中を案内する男性は「暗闇体験」として語りの途中に電灯を消す時間を設けている。暗闇で語りに傾聴することが趣旨のはずだが、どちらの作品でも明るいときと同様の白さで光るArialフォントの英語字幕が「体験」を不可能にしていた*3。『ダホメ』では、2021年にフランスからベナンへ返還された美術品のひとつが声を与えられ、主として黒画面に重ねてフォン語*4の語りを響かせる。木の箱にしまわれながら「暗くて何も見えない」というようなことを言うのだが、このときも日本語と英語の白い字幕が場内を照らしていた。

いずれの場合も、字幕が真っ白い光源として輝いている空間が、音声および当の明るい字幕によって暗闇として名指されていた。いわば字幕によって暗闇が誤訳されて・・・・・いるのだ*5

透明なフリを装って*6傍若無人に振る舞うこうした字幕を、仮に堕落的字幕と呼んでみる。業界の都合で画一化された手法に支配され、作り手にも観客にもまるで無関心な翻訳装置の謂である。

② 官能的字幕

堕落的(corrupt)字幕というのは映画研究者マーク・ノーネスの表現だ*7。字幕翻訳には慣習的なルールがある。1秒あたり4文字以内に収める、一読しただけで難なく理解できる範囲にまで(しばしば暴力的に)簡略化する、差別的な表現は脱色する、等々*8。こうした規範に忠実な型通りの字幕、「直接的、表面的、単純、曖昧さや複雑さの欠如へと向かう」*9字幕を、ノーネスは――業界の資本主義的動機に追従しているという意味で――堕落的字幕と呼んだ。

これに対置されたのがabusive(悪態的/濫用的)という形容詞だ。罵倒語などの表現は強烈な言葉で――悪態的に――訳出し、映画的テクストの要求に応じて慣習を破った手法(文字の大きさや色や位置の操作、字数制限の無視、等々)を――濫用的に――取り入れる字幕翻訳。ノーネスは、オリジナルへの「忠誠心」(fidelity)を軸とし、あらすじの伝達にとどまらず「映画内で用いられる言語が持つさまざまな聴覚的、視覚的特質にも注意を払う」*10ことの必要を主張した。

ノーネスはのちに、このペアを良識的(sensible)字幕と官能的(sensuous)字幕に呼び替えることを提案している (19) 。表現の攻撃性を弱めるとともに、ルール通りの字幕翻訳が「本質的に腐敗しているわけではない」(20) ことを加味するための修正らしい。ここでは単に好みと趣旨に合わせて「堕落的」と「官能的」の語を用いてみているが、要点は同じである。「良識的」の語が規範への「盲目的な追従を示唆している」(19) ことに変わりはなく、「官能的字幕とは映画への愛に他ならないのだから」(44) 。

③(多少でも)官能的字幕のほうへ

ノーネスは官能的字幕の特徴を、「観客を外国映画の異質性、他者性、言葉の重要性(特に、その文学性)、そして、つまるところ映画の視覚と音声に接触させる字幕」(23) と要約している。聴覚に関しては具体的に「ライム(韻)、リズム、声の大きさや力強さ、文法的構造、頭韻、声質、身体的な近さ、さらには(…)沈黙」への注目を促す一方で、字幕の視覚的様相については、「時として字幕の位置や、字体、色といった視覚的な面に手を加えることがある」ものの、そうした処理を必要とする映画はまれだろうとしている (24) 。

暗い画面に字幕が表示される事態は決してまれではない。ノーネスのリストでは字幕の「色」がかろうじて言及されるばかりだが、そこに字幕自体の明るさという側面を書き加える必要がある。それは字幕を暗がりに文字通り溶け込ませ、翻訳の介在を透明化しようとする企てではない。無様な明るさという「堕落」を「官能性」のほうへと引き寄せる「忠実」な態度である*11

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*1:この文章は最近たまたま見た映画とたまたま記憶にあった文献と生半可な知識をもとにした放言であり、理論的にも実践的にも網羅的な何かを目指したものではありません。

*2:そもそもデジタル上映の時点で闇などないと言われればぐうの音も出ない。あの左右や上下の黒く光る帯はぜひ黒布で隠してほしいと思う。特に先週のマルコ・ベロッキオ『エンリコ四世』は初めて経験する驚くべきひどさで、図のような感じだった。
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*3:そこにこそ『GAMA』と『Underground』の限界があるという立論もできそうだ(視聴覚的遊戯の素材として沖縄の「体験」を搾取するどん詰まりの「わ・れ」はたとえば『ダホメ』における「私は歩き続ける」の重唱に遠く及ばない)が、しない。

*4:この語りはハイチの作家マケンジー・オルセルMakenzy Orcelによるテキストをフォン語に翻訳したものだという。Wendy Ide. “Dahomey review – Mati Diop’s exquisite tale of repatriation”. October 2024. https://www.theguardian.com/film/2024/oct/27/dahomey-review-mati-diop-exquisite-tale-of-repatriation-atlantics

*5:この点で中島夏樹『地図になき、故郷からの声』(2021年)は興味深い試みをしていた。クルディスタンや日本に暮らすクルド人たちの歌や語りを伝えるこのドキュメンタリー映画は、黒画面と「耳を傾ける者たちよ」と訳されるクルド語の呼びかけとを冒頭から繰り返し配置している。クルド語を解さない観客は当初、暗闇を照らす白文字を読むことしかできないが、リフレインによって白文字を読み取る視覚の役割は縮小してゆき、その場に文字通り「耳を傾ける者たち」が立ち上がることになる。このとき、字幕の光る画面は明るいままで暗闇に漸近する。

*6:映画祭で見た上述の4作品については、翻訳の責任の所在を調べても何も出てこなかった。翻訳者の(虚偽の)透明化が端的に見て取れる。

*7:Markus Nornes. “Toward an Abusive Subtitling: Illuminating Cinema’s Apparatus of Translation”. 1999.(阿部・マーク・ノーネス「悪態的字幕のために:映画翻訳装置の露出」山本直樹訳、2005年。)冒頭の引用も同論文より。原文(英語)、日本語訳ともに以下のページでダウンロードでき、著名な日本語字幕の実践者の「堕落」ぶりや日本語字幕の黎明期に関する記述など、面白く読める。
https://deepblue.lib.umich.edu/handle/2027.42/90898

*8:同論文の内容に従ったが、実践者たちによる以下の文献――当然ノーネス論文は無視して書かれている――にもそれぞれ対応する記述がある。
日本映像翻訳アカデミー(桜井徹二、藤田奈緒、新楽直樹)『字幕翻訳とは何か:1枚の字幕に込められた技能と理論』2018年。

*9:マーク・ノーネス「「濫用的字幕のために」再考:視聴覚翻訳における責務の多面性について」松本弘法訳(武田珂代子編著『翻訳通訳研究の新地平:映画、ゲーム、テクノロジー、戦争、教育と翻訳通訳』晃洋書房、2017年)、10ページ。論文の日本語訳は以下のページでダウンロードできる。後半で挙げられる4つの事例が(微かな危うさも含めて)興味深い。
https://deepblue.lib.umich.edu/handle/2027.42/167621
なお、この訳ではcorruptの語が「腐敗的」と訳されている。以降、この文献からの引用は括弧内に該当ページを記すことで示した。

*10:ノーネス「悪態的字幕のために」185ページ。

*11:とはいえ、字幕翻訳者はノーネス論文くらいは読んだうえで実践をしているのかもしれないし、そうであってほしいとも思う。別に実践者を否定したいわけではないので、最後に2つの方向で擁護をしてみておく。

まず、表示の形式ではなく内容の面で「官能的」といえるような字幕の実践はすでに見られる。たとえば、作中で中心的な言語以外の発話を山括弧〈〉に入れた字幕で示す手法は比較的頻繁に使われている。さらに、フリーヌル・パルマソン『ゴッドランド/GODLAND』(2022年、字幕は古田由紀子)では、デンマーク語とアイスランド語の発話のうち後者を山括弧でくくるという方針が冒頭の字幕で表示された。イリヤ・ポヴォロツキー『グレース』(2023年、字幕は後藤美奈)では、ルビの位置に(バルカル語)というように話されている言語名を示した箇所があった。これらは従来通りの意味での翻訳を超えた試みといえる(どちらもイメージフォーラムで見た作品なのが示唆的かもしれない)。ノーネスも「従来と同じ外見の字幕の中で官能的な働きをする」(24) 試みの可能性を認めているし、目立たないだけで(あるいは見逃してしまっただけで)ほかにも試行錯誤は行われているのだろう。良心的な実践がもっと広く見られ、語られるようになれば望ましいと思う。

次に(このへんは大嘘をついている可能性があるのでお詳しい方は気が向いたらお叱りをいただけるとありがたいです)、そもそも現行の一般的なシステムで明るさの調整という選択肢があるかどうかは疑わしく、形式の上で「官能的」実践を目指すには技術的な困難が伴う可能性が考えられる。スクリーンのサイズ等に合わせて各所で調整するべく、表示する文字と表示のタイミング程度のデータしか運べない形式でやり取りが行われているのかもしれない。いずれにしてもあの無遠慮な明るさは「カネの影響力」や「一般大衆の観客を引き込もうという欲望」(19) の暴力による業界全体の「堕落」が原因だろうから、手を出せるところから働きかけてみて全体の変化に期待を寄せるほかないようにも思われる。

アキ・カウリスマキ『枯れ葉』または暴力の追放

取るに足らないバイオレンス映画を作っては自分の評価を怪しくしてきた私ですが、無意味でバカげた犯罪である戦争の全てに嫌気がさして、ついに人類に未来をもたらすかもしれないテーマ、すなわち愛を求める心、連帯、希望、そして他人や自然といった全ての生きるものと死んだものへの敬意、そんなことを物語として描くことにしました。それこそが語るに足るものだという前提で。

アキ・カウリスマキ監督からのメッセージ」より

以下、アキ・カウリスマキ監督による『枯れ葉』(2023年)の暴力の位相について、『希望のかなた』(2017年)など他のカウリスマキ作品と比べながら書き記す*1。下の写真はトークショーのついた先行上映の際に撮ったもので、カラフルなアルマ・ポウスティと白と黒だけの松重豊の対比もフラッシュで出た変な影も何となくよい。

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『枯れ葉』は前作『希望のかなた』で引退を宣言していたカウリスマキの6年ぶりの復帰作である。近いタイミングで仕事を失った男女がたまたま出会い、再会と別れを何度か繰り返した末に緩やかに結ばれて終わる。

『枯れ葉』が遵守する鉄則のひとつに、暴力は画面の外にとどめて音声としてのみ示すという方針がある*2。アルマ・ポウスティの自宅にはラジオしかなく、キャスターの声がウクライナ戦争の模様を何度も描写する。悪事に手を染めていた店主は警察からの逃走を試みて失敗したようだが、その様子は見物人の映っている間に画面外から聞こえてくる殴打音やうめき声から推察されるだけである。ユッシ・ヴァタネンが事故で重傷を負うのも彼がフレームを外れた後であり、無人の画面に電車と衝突する音が聞こえる。

これはたびたび画面の真ん中に暴力をとらえた『希望のかなた』と対照的である。シリア難民である主人公は中盤で初対面の飲食店オーナーと殴り合うし、夜道でリンチに遭いかけたり、終盤ではナイフで刺されて負傷したりもする。爆撃されるシリアの様子がテレビ映像として映し出され*3、それを眺める人々の顔と交互に編集される場面もある。

さらに、『枯れ葉』もその系譜に位置づけられる『パラダイスの夕暮れ』(1986年)、『真夜中の虹』(1988年)、『マッチ工場の少女』(1990年)の「労働者三部作」*4でも暴力は視覚的に明示されていた。『パラダイスの夕暮れ』の終盤では主人公のマッティ・ペロンパーが夜道で二人組に襲われるし、『真夜中の虹』でもペロンパーはパスポートの偽造業者にナイフで刺され、主人公のトゥロ・パヤラがその業者をまとめて銃殺する。

『マッチ工場の少女』だけはやや異なる方針が選ばれている。家のテレビが天安門事件の映像を繰り返し放映しているのに加え、主人公のカティ・オウティネンが殺鼠剤を用いて複数の殺人を犯すが、犯したことになっている毒殺の様子は明示されないからである。殺鼠剤の混ざった飲み物が口にされると画面はフェードアウトし、毒の効果が出るのを待たずに場面が転換する。あるいは、画面の左へ振り向く主人公に続き、その視線の先の景色ではなく向きを変えた後の主人公の顔を正面に回ってとらえた映像を繋ぐパターンも見られる。フェードアウト(これは他のカウリスマキ作品でも多用される)や見た目の排除は殺人の前の場面でも使われており、同じ手法が死者や暴力の顛末を画面の外に押しやっている。

『枯れ葉』のカウリスマキは、暴力の画面からの排除を(テレビをラジオで置き換えることで)より徹底しながら『マッチ工場の少女』に回帰し、そこに連帯への希望を添えたと見てよいかもしれないし、暴力との関係における新しい位置を携えて戻ってきたというべきかもしれない。いずれにしても、作中でも言及のあるウクライナ戦争を経て6年ぶりに復帰した彼の動機は、そのあたりにもあったのではないかと思われる。監督のメッセージとされる文章が自身の「バイオレンス映画」を引き合いに始まるのも、その観点から理解できるだろう。

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*1:主題から外れる話を先に書き留めておく。アルマ・ポウスティが自宅でユッシ・ヴァタネンと食事をする際、アペリティフ(食前酒)とディジェスティフ(食後酒)をめぐるコミカルなやり取りが交わされる。ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー『不安は魂を食いつくす』(1974年)の一場面と同様に、アペリティフは労働者階級になじみのない言葉として使われており、カウリスマキがベストテンに同作を含めたことがあることからも影響関係がうかがえる。

ファスビンダーにおいては高級飲食店にやってきた男女がともに意味を知らずに(意地の悪い店員の導きで)アペリティフを注文していたが、『枯れ葉』では自宅でアペリティフを用意したポウスティがヴァタネンにその意味を説明してやる。ともに労働者である2人の出自の違いが示唆されており、ポウスティの演じるアンサという人物は、酒飲みの父の死後に急激に生活が苦しくなったという設定があるのかもしれない。

*2:ただし、唯一の例外はジム・ジャームッシュ『デッド・ドント・ダイ』(2019年)の終盤から引用される対ゾンビ戦である。被弾するゾンビが映されるはずのタイミングで客席のアルマ・ポウスティとユッシ・ヴァタネンに切り返される。

*3:新しさを価値として刹那的に消費されるニュースの断片を映画に取り込むことで延命させる手法は、後述する『マッチ工場の少女』(1990年)で使われ始める――「1980年代後半に、中国・天安門のニュース映像を自分の映画に入れれば映像を永遠に残せると気づきました」(下の動画の14分40秒あたり)。

*4:イベントレポート記事には載っていないものの、松重豊はこれを「失業三部作」と呼んでいた。

『枯れ葉』に限らない余談だが、松重は撮影をワンテイクで済ませるカウリスマキの方針に北野武の現場を連想していた。北野映画の俳優は(おっさんオールスターの趣のある近作では特に)それぞれ好き放題の本気をぶつけ合っている感じがするが、カウリスマキ映画の登場人物は短い時間で明らかにカウリスマキ映画の登場人物と分かる佇まいや台詞回しをしている。事前にどういう演出をすると俳優はワンテイクでカウリスマキ化するのだろうか。

北野武『首』

新作として見る初めての北野武作品だったものでだいぶ浮かれて臨んだ『首』(2023年)について。

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音楽の響く白画面に首の字が現れると、その字の首にあたりそうな部分が切り落とされてフレームの下へ消える。背景説明に続いて水辺の死体が映り、次のショットでは首から上のない死体を蟹が這う様子が大写しになる。「首」を名乗るこの映画では首の消失や欠如のほうが主題であることが冒頭から明かされている。

再び文字で説明が与えられ、今度は男たちが勢いをつけて押す丸太が画面を塗り替える。数回ぶつけると太い棒は門を突き破り、男のみの世界における姦通を象徴的に導入する。

 

映画の最後のショットでは、たけし=北野武=秀吉が「首なんてどうだっていいんだよ」と言い放って生首を蹴り飛ばす。西島秀俊明智光秀のものということにされているこの首も、題字以来の数々の生首と同様に画面の外へ落ちていく。首にこだわる者どもと首に頓着しないたけし=秀吉を対比する意図らしいが、「首」と題した映画を作家自らがどうでもよいと断じて締める余裕というか、その驚異的な適当さに感嘆してしまう。

アウトレイジ』(2010年)と『首』の違いとは、ともにビートたけしの台詞である「関口の野郎…」と「信長の野郎…こんちきしょう!」の違いである、と強弁してみる*1。たまたま直前に見たから比べているだけだが、文脈をゼロからスマートに作り出す必要のあった前者に対し、後者では役名のスーパーインポーズで人物の行く末が了解されるので*2、「こんちきしょう!」の部分で勝負をするしかない。「バカヤロー。なあ?」と数十年来の決め台詞に同意を求めてしまうビートたけし、台詞を噛んだまま本編にぶち込まれた浅野忠信、お椀のショット1つで済む事情をフラッシュバックまで動員して説明する冗長なまでの丁寧さなど、「どうだっていいんだよ」と切り捨てられるべくあらゆる細部が積み上げられていく。

厳格さや緊張の脱臼という意味では集団戦闘場面も同じである。合戦の冒頭では左右逆を向いた両陣営が別々に切り取られるが、ひとたび入り乱れて戦い始めると切り返しが抑制される。音声的持続に一応支えられたショットのあいだに脈絡はなく*3、基本的に名のない兵士たちが戦い、殺される瞬間が羅列される。

一方、名のある少数の人物の会話は細かい単独ショットを並べて示されることが多い。ここまで同じ2種類のカットを繰り返し往復する北野作品は初めてではないか*4。ただし加瀬亮織田信長が登場すると繋ぎ間違いが誘発され、往復する編集も選ばれにくくなる。

 

加瀬=信長のいないほとんどの場面において、たけし=秀吉は足を引きずる浅野忠信黒田官兵衛と弟の大森南朋羽柴秀長の2人を従えている。浅野=官兵衛は遠藤憲一荒木村重のせいで脚を悪くしたらしく、象徴のうえで去勢されたのを杖で代用して生き延びている。血を分けた大森=秀長とのあいだにも近親相姦を禁じる圧力がはたらいていることにすれば、たけし=秀吉自身は両脇をホモセクシュアリティからの防御で固めていることになる。

『首』は史実を同性愛排除のシステムとして再編成する。作中で男どうしの性的接触をした人物はことごとく明示的に殺され*5、していない主要人物だけが生き残る。システムに淘汰されたホモセクシュアルになりかわるのは当然それを排したホモソーシャルであり、前述のとおり身辺をあらかじめホモソーシャルで固めていたたけし=秀吉、それに醜い女への嗜好を戦略的にさらけ出した小林薫徳川家康が天下を手にするだろう。

 

ホーキング青山=多羅尾光源坊のくだりにとにかくはまってしまった。しゃべれるのになぜか発話の途中から両脇の白狐による吹き替えが重なり、わざわざ分割画面や変な音声効果まで発動して意思疎通をしている。意味の分からなさが最高である。そのわりに黙って殺され、3人の死に様も複数のショットでやたらと丁寧に示される。北野武は今度再び浅野忠信を起用して「バカバカしい映画」を作るらしく*6、フィルモグラフィにようやく追いつけたのでたくさん作ってほしい。

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*1:あとはビートたけしの生きる意志も明らかに違う。「アウトレイジ」シリーズのたけしは銃で脅されるたびに半ば懇願するように「やってみろ、この野郎」とすごむが、最後に自ら引き金を引く瞬間までお預けを食らい続ける。『首』のたけしは端ない世界に毒づきながらも生きる気満々である。

*2:大して日本史に通じていないカンヌの観客には、中高年男性の荒れ模様と死体の量産が見えただけだったのではないか。海外タイトルも不親切な Kubi である。

*3:たとえば『首』の宣伝でよく言及されている黒澤明の『七人の侍』(1954年)――ほぼ同じ時代を舞台としている――であれば、矢を放つ者と矢に突き刺されて落馬する者の切り返しがアクションの大きな部分を占める。

*4:大スクリーンで見るクロースアップの圧力に押されただけかもしれないが、先行上映で見たアキ・カウリスマキ『枯れ葉』(2023年)も同様の往復による会話が多かった気がする。青に赤をぶつけるのも一緒である。

*5:荒木村重本能寺の変のあとも生き延びたらしいが、いくつもの生首と同様にわざわざ画面の下=崖の下へ落とされる遠藤=村重には、死と同等の排除が働いたと見てよい。なお副島淳=弥助だけが例外かもしれないが、マッサージなら許容されるということか。

*6:22分20秒あたり

アンディ・ロビンソン、『ダーティハリー』への出演を回想する

以下は英語圏のホラー雑誌 Rue Morgue 掲載のインタビュー記事 "Andrew Robinson Looks Back At His Days As The Scorpio Killer - Rue Morgue(アンドリュー・ロビンソンがスコーピオ・キラーを演じた日々を振り返る)" の私訳である。出典を記すことを条件に翻訳公開の許可を得ている。映画作品には監督名と公開年を付したほか、何か所か改行を追加した。

2021年12月10日(火)

聞き手:マシュー・ヘイズ

アンドリュー・ロビンソンが『ダーティハリー』(ドン・シーゲル監督、1971年)のスコーピオを演じ、あらゆる人を恐怖に陥れてから半世紀が経つ。スコーピオは、サンフランシスコ市民を餌食にするゾディアック・キラー風の連続殺人犯の役である。当時ニューヨークに拠点を置く新進気鋭の舞台俳優だったロビンソンが配役されたのは、そのヒッピー風の雰囲気が一因であり、彼は長い髪と前衛的な実験劇場のオーラをまとっていた。

ロビンソンはまったく忘れがたい演技で銀幕史上もっとも卓越した殺人狂の1人を演じ、クリント・イーストウッド扮する “ダーティ” ハリー・キャラハンと対峙した。どちらの役も、それぞれに息を吹き込んだ俳優の人生を永久に変えることになった。イーストウッドの名前はしょっちゅう耳にされるようになり、彼はのちにいくつかの続編に主演した。一方のロビンソンは、予期しない形でその役に規定されてしまった。枠に完全に押し込められたのである。ロビンソンはその状況に失望し、変質者的でない新鮮な役を見つけるべく復帰するまで、何年か演技を離れていた。ファンは彼を『ヘル・レイザー』(クライヴ・バーカー監督、1987年)のラリー・コットン役や、繰り返し演じた『スター・トレック:ディープ・スペース・ナイン』(1993〜99年)のエリム・ガラック役として記憶するだろう。この25年間、ロビンソンはUSCで演技を教えている。

先日、Rue Morgue はロビンソンに再会し、彼のキャリアと人生に消えない跡を残した役について振り返ってもらった。

 

どのようにこの役に決まったのですか?

ドン・シーゲルの息子のクリス・タボリとは仕事で一緒になったことがありました。ニューヨークに来たドンが「ニューヨークでいちばんすぐれた若い俳優は誰だ」と尋ねると、クリスは「アンドリュー・ロビンソン」と言ってくれたのです。おかげで顔合わせが行われましたが、おそらく15分ほどでとても短かったため、それ以上何も起こるわけがないと思っていました。

すると数週間後、当時出演していた演劇の舞台にちょうど上がろうとしていたとき、舞台監督が楽屋に下りてきて、クリント・イーストウッドが客席にいると私たちに伝えました。この演劇はオフ・ブロードウェイのドストエフスキー小説の翻案だったので、クリント・イーストウッドが見物に現れるとは考えにくいものでした。私にはなぜ彼が来たかが分かりました。

 

彼が客席にいると分かって演じるのは緊張したのではないですか。

演じるときは集中できます。本当に集中しているので、私は公演初日も気になりません。ビームが頭上に落ちてきたりでもしない限り、何も私を止めることはありません。その晩の私の演技は明らかに上出来でしたが、休憩時間に舞台監督から、クリントが第1幕のあとで帰ったと聞きました。再び私はそれっきりだと思ったのですが、2週間後にはサンフランシスコにいました。

 

あなたが演じたスコーピオ・キラーは、明らかにゾディアック・キラーをもとにしています。役を演じる前はどのようなリサーチをしたのですか?

正直に言って、あまりしませんでした。ゾディアック・キラーについては、彼が残していた暗号のメモ以外に知られていることがあまりに少なかったからです。私がしたリサーチは、フィルム・ノワールをたくさん見ることだけでした。『死の接吻』(ヘンリー・ハサウェイ監督、1947年)で変質者に扮したリチャード・ウィドマークの演技には、子どものときに甚大な影響を受けました。

私が役を演じ始めるときにすることの1つは、伝記の執筆です。スコーピオについてはいくらかヒントをもらっていましたが、ドンは私が作中人物として履いていた軍靴*1をくれました。その軍靴は、平和のシンボルをかたどった私のベルトの留め金とともにうまく影響を与えてくれました。この男はベトナムで戦っていたと想像したのです。

ベトナムは私にとって重要でした。そこへ行くべく召集を受けて、カナダへ去る準備をしたことがあったからです。[ベトナムへ]行く気はなかったため、鞄に荷物を詰めていました。そのとき、自分は第二次世界大戦で戦死した人――私の父がそうです――の残した唯一の子にあたることが分かり、私は徴兵を免除されました。そういう経緯で、この作中人物もベトナムでの従軍後は完全に錯乱するだろうと考えたのです。

 

ダーティハリー』を見ると印象的なのは、クリント・イーストウッドの演技とあなたの演技に現れるスタイル上の緊迫感です。彼はいつも通り彼のやり方で演じており、非常にミニマリスト的です。彼は目を細くする表情だけで多くを表現できます。他方であなたは、完全に度を越えたような演技をしています。演技のスタイルにおけるこの対比は、制作中に話題に上りましたか?

そのことはまったく意識にありませんでした。あなたが言うように、クリントはクリントです。彼には彼とカメラとの関係があり、ミニマリスト的で派手なことをしません。彼は禁欲主義的なのです。顔立ちのよい若者だったことも損にはならなかったでしょう。ドンがニューヨークの若い舞台俳優を求めていたのはそういう理由だと思います(私はダウンタウンの舞台俳優で長髪だったので)。私たちが互いを引き立て合うようにすることは、初めからドンの考えだったのだと思います。

頭のおかしい人を演じるのはとても難しいことです。その境地に達しなければいけないのです。俳優が観客に目配せをしているうちはうまくいくわけがありません。ドンはその境地に達するよう私を促してくれました。それはとても創造的な経験でした。映画業界で得た中ではもっとも創造的な経験です。残念なのは、映画にかかわる経験はすべてそういう感じなのだろうと思ってしまったことです。実際はその逆だとすぐに学ばされました。ドンは私のしていることを見ていて、思いついたアイディアを聞いてくれました。私が思いついたアイディアはほぼすべて採用してくれました。

 

あなたが思いついたことはたとえば何ですか?

私はフィジカル・シアターの仕事に深く携わっていました。フィジカル・シアターとはとりわけイェジー・グロトフスキの教えですが、当時アメリカに到来しつつあり、現在も私がUSCで教えているものです。それは演技に対してとても身体的なアプローチを取ります。

ダーティハリー』に出たころの私は身体的に人生で最高の状態だったので、あらゆる演技がとても身体的です。スタジアムの場面では、彼に撃たれて私がひっくり返るところで、倒れる動作を自分でやろうと提案しました。最後の採石場を駆けめぐる追跡場面では、ドンと撮影監督[訳注:ブルース・サーティース]と私で追跡の現場を歩いて回り、私はできることをいくつも提案しました。たとえば、ベルトコンベアに乗ろうと言いました。手すりを滑り降りるのもやりたかったのですが、本当に棘だらけだったので、ドンが衣装部に頼んで仕立てさせ、棘が刺さらないようズボンの下に革を身につけました。最後の場面では、ドンがスタント・ダブルを飛行機で呼んでいましたが、撃たれて甲板から飛んで池に落ちるくらいはできる気がしたので、スタントを自分でやりました。

 

同作は表現方法において現代でもとてもリアルに見えます。偉大な犯罪映画です。

少し前に大きなスクリーンで作品を見ました。まだまったく古びていないと感じます。ブルース・サーティースによる撮影も、ラロ・シフリンの音楽もです。あの音楽は際立ってすぐれています。スコーピオに合わせて彼の作曲した音楽が素晴らしく、この映画の半分は音楽だと思います。

 

あなたのキャラクターは散々に殴られるうえ、バスごと子どもたちを人質に取り、そのうちの1人を殴る場面さえあります。撮影がもっとも大変だったのはどの場面ですか?

最悪に大変だったのがまさにその2つです。お見事! 私をぶちのめす男を演じたのは優しい俳優で、あの場面の撮影は彼にとって何よりつらい時間でした。彼はとても取り乱していました。カメラが私に大きく寄っているときは、スタント・コーディネーターが代わりに入っていました。

スクールバスのことは本当に酷でした。あの可愛らしいスクールバスでは、缶詰の中にいてゴールデン・ゲート・ブリッジを往復しているような感じでした。でもドンは、「子どもたちを怖がらせられていない。怖がらせないとこの場面はうまくいかない」と言いました。それから私が叫んだりあの歌を歌ったりすると、子どもたちは本当に怖がり始め、1人は泣き出してしまいました。あの子どもたちがどうやって選ばれたのかは分かりませんが、学校が1日休みになったと思っていたのに、実際はこの過酷な場面の撮影だったという事情だと思います。

 

あの子どもたちは、何をしに来ているのかを分かっていなかったということですか?

みんな元気にしているとよいのですが。精神科の請求書に追われていないことを願います。

 

連絡を取り合ってはいないのですか?

[笑って]私はもっとも会いたくない人物だと思いますよ。

 

映画は公開されると一瞬で大評判になりました。若い俳優にとっては高揚を覚える出来事だっただろうと思います。それはあなたにとってどんな瞬間でしたか?

至福の時でした。公開前に映画を初めて見たとき、見ながら「信じられない!」と思っていました。演技に誇りを感じたからです。私は有頂天になっていました。自分の演技についていつもこういう気持ちになるわけではないのですが、この映画ではそうでした。

私が思い至らなかったのは、それが多くの人に恐怖を与えたということでした。私に仕事を与える気にならなくなるほどの強い恐怖を、人々は感じたのです。ドンが次の作品に出演させてくれるまでの1年間は仕事がありませんでした。このことに私は困惑し、悩まされました。

そのすべてを物語る瞬間がありました。ワーナー・ブラザーズのあるキャスティング・エージェントと会う約束をしていたときのことです。彼女は私の名前をあの映画と結びつけてはいませんでしたが、彼女のオフィスへの通路を歩いている私を見て、私が誰なのかに気づきました。そこで彼女は秘書に、言い訳をでっち上げて約束をキャンセルするように言ったのです。何年も後でそのキャスティング・ディレクターはこの話を聞かせてくれました。秘書に約束を取り消すよう頼んだのは、単に私に会いたくなかったからだそうです。そのような状態が数年続きました。映画でキャリアを築くことになるものとしばらく思っていたのにそうはならなかったので、多少は打ちのめされました。

 

その役を引き受けたことを後悔したことがあるかどうか、お聞きするつもりでした。

大いにあります。業界をやめてロサンジェルスを去り、山間部の小さな町に住んで違う仕事をしていた時期がありました。私はしばらくスコーピオに酷似した役しかオファーをもらっていませんでした。もう終わりだと思い、遠くへ去ったのです。それはとても賢明な決断でした。約5年間は完全に現場から離れて過ごし、ついに私にとってのスコーピオの時代もバックミラーに映る過去の出来事になりました。

 

ファンに言われたもっとも奇妙なことは何ですか?

殺害予告がいくつかありました。ひどいこともたくさんありました。たとえば、妻が電話を取って殺害予告を受けたこともあり、電話帳にない番号を入手しないといけなくなりました。ある男は記者になりすましてインタビューをしたいと言ってきて、ウィリアム・モリス[訳注:ハリウッドのタレント事務所]のオフィスの1つで会うことにしたのは幸運だったのですが、すぐに何かがおかしいと感じました。彼は完全に正気を失っており、スコーピオになるのはどういう感じだったかを知りたがったので、私はすぐに立ち去りました。私に近づいてマグナムを構えるふりをし、クリントが私を撃つ前に言っていた口上をひと通りやる男は何人もいました。

これらのせいで、演じることは時に無垢な仕事ではないのだと確信しました。実際、色々と異なる人々を惹きつけてしまうことがあるのです。その波が落ち着いて、私が前に進めるようになるには、しばらく時間がかかりました。

 

それでも、あなたはこの映画を作った経験をとてもポジティブな出来事として話しています。

映画の制作自体は素晴らしく、スリルに満ちていました。作っているのは昔ながらのハリウッドの人々で、ほとんどが保守派でした。3テイク目を撮ることはありませんでした。経済的な映画制作ですが、とても見事に行われていました。私たちは50年を経た現在もまだこの映画について語っています。この映画は西部劇、刑事もの、ホラーなどいくつかのジャンルの組み合わせであり、アメリカ映画の神髄なのです。

 

ダーティハリー』については、多くの批評家が警察による暴力や拷問を賛美するファシスト的映画と非難していたことも言及しなければいけません。制作時にはこの映画の右翼的な傾向について考えていましたか?

考えていませんでした。私は急進左翼なので、おかしな話です。私が悩ましく思ったのは、映画が公開されてしばらくして起こった事件でした。『ダーティハリーごっこをしていた2人の子どもの1人が父親の銃を持っていて、一方が他方を殺してしまったのです。その話を聞いたときは本当に深く動揺しました。暴力について、私たちに何が言えるでしょう? 人口の2倍近い数の銃があるアメリカの人間として、何を言うべきかを知るのは難しいことです。

 

面白いのは、1本目の映画の持っていた私刑支持のメッセージの多くを、最初の続編『ダーティハリー2』(テッド・ポスト監督、1974年)が否定していることです。

そしてその続編は本物らしく感じられませんでした。ポーリーン・ケイル[訳注:映画批評家]にファシズム賛美と見なされたことで悩んでいたのは分かります。少し前言を翻そうとしていたのです。たしかに『ダーティハリー』は映画の暗い面を表現していますが、結局はただの映画にすぎません。

ステュアート・ローゼンバーグとオーディションで一緒になり、私のオーディション中に彼と口論になりました。彼は本物の左翼で、単刀直入に「あなたはどうしてあんな映画が作れるのか」と聞いてきました。私は「本気かよ。私は俳優だ。第三帝国を支持する映画に出たわけでもないのに」と言いました。「こんなやつはどうでもいい」と思っていましたが、私の反論に感謝した彼が役をくれたので、『新・動く標的』(スチュアート・ローゼンバーグ監督、1975年)という映画でポール・ニューマンと共演しました。

 

ダーティハリー』の制作で、ほかに印象的だった思い出はありますか?

映画の結末で警察バッジをどうするかについて、ドンとクリントが激しく言い争っていました。スコーピオは息絶えて池に浮かんでいます。ハリーはバッジを取って投げ捨てるのか、という問題がありました*2。ドンや私は投げ捨てなければいけないと思っていました。彼は外れ値であり、私刑を下した人間だからです。彼は正義や名誉について異なる規則に生きる男です。法律の外へ踏み出してしまったわけです。ドンが勝ってとても嬉しく思いました。


クリントはバッジをポケットに戻したがっていたということですか?

ええ。彼は反論して、「法と秩序の男なのに、どうしてバッジを投げ捨てるのか」と言っていました。


あの終え方は『真昼の決闘』(フレッド・ジンネマン監督、1952年)の最後への目配せだと思っていました。あの映画でも主人公[訳注:ゲイリー・クーパー演じる保安官のウィル・ケイン]が同じことをするからです。

たぶんその通りですが、大きな論争の種になっていました。ドンの考えが通ってとても嬉しかったです。

No.0006

*1:paratrooper boots(落下傘兵用のブーツ)

*2:ダーティハリー』の脚本と映画の結末をざっと見比べた記事「『ダーティハリー』脚本と結末について - 映画を齧る人」も参照。

上映イベント宣伝:12/10㈰「ちょっとだけ遠い人々 現代映画と距離の感覚」

12/10㈰の13:30から17:00にかけて、駒場キャンパス18号館ホールにて「ちょっとだけ遠い人々 現代映画と距離の感覚」という題のイベントがあります。東京大学大学院表象文化論コースのWebジャーナル『Phantastopia』編集委員会の主催で、拙作『Flip-Up Tonic』『金曜物語』とたかはしそうたさんの作品『移動する記憶装置展』が上映されます。詳細は以下のとおりです。

phantastopia.com

集客がそれなりに順調らしいと聞いて浮足立っているのですが、せっかくの機会なのでなるべく多くの方に来ていただいてあわよくば色々お叱りを受けたいという願望があり、向こう1週間で多少でも宣伝効果があがればと上映作品の紹介をしてみます。ご都合のつく方はお申し込みのうえ足を運んでくださると嬉しいです。

このイベントはぴあフィルムフェスティバルコンペティションが何かの間違いで『Flip-Up Tonic』を入選枠に含めてくださったことから始まりました。同映画祭関係者の皆様、それからこれまで作品の制作にかかわってくださった方々にお礼を申し上げます。

 

『移動する記憶装置展』

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たかはしそうた監督による東京藝術大学大学院の修了制作で、PFFアワードでは観客賞を受賞されました。劇場公開もされた同監督の『上飯田の話』に続いて横浜市泉区上飯田が舞台ですが、題が示唆するようにそこは移動の中継地点でしかないようにも見えます。

アーティスト=宇宙人を媒介に「装置」が回転していくこの映画は、町の現在という一瞬を緩やかにとらえ続ける一方、記憶が徐々に劣化していく過程を凝縮して見せる試みでもあると思います。大学で紹介(というと傲慢ですが)できたら面白いお話が聞けるのではないかと思い、ご相談を差し上げたところ快諾してくださいました。

全編を通じて力の抜けた緊張感が持続する不思議な映画で、次のフレームが何を映すかをめぐる期待でとても楽しく鑑賞していました。初見時は最初のショットが訳も分からず刺さってしまっていきなり参っていたこともここで告白します。

 

『Flip-Up Tonic』

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以前気が向いて作った変な予告編をこの期に及んで公開します。映画制作サークルで初めてまともに人々に協力してもらいながら手探りで作った短編映画です。運よくうまくいった習作という位置づけにしています。

SF映画は存在しない」という蓮實重彦氏の文章を真に受けてできてしまったSF映画で、意味をなさないタイトルは Pulp Fictionクエンティン・タランティーノ監督、1994年)のアナグラムでできています。時系列の入れ替えや中身の薄さは同作の真似のつもりですが、青山真治監督による『WiLd LIFe』(1997年)が楽しすぎた影響で映像は持続しながら時間が逆流する箇所もいくつか出てきます。

PFFに合わせて審査にかかわられた方がブログ記事を書いてくださったので、ここでも貼り付けます。円環構造や発話の問題から「挑発的な作品である」と締めてくださり、恐れ多くもとても嬉しかったです。改めてありがとうございました。

nakayama611111.hatenablog.com

 

『金曜物語』


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スクリューボール・コメディのジャンル研究をやるぞと大見得を切って企画し、映画美学校の修了制作として作った短編です。要項に課された15分の制約を生かせば「再婚喜劇」のド直球な逆張りも成立するのではないかという見立てをもとに、非礼(?)を承知でハワード・ホークスの露骨な真似から映画を始めています。参照先が遠いうえに古典期ハリウッドの直後を生きている風を装っているので二重に時代錯誤的な試みといえそうですが、いまはこれしか手がないとこういう作戦を取りました。

とりあえず現時点の自己ベストととらえている作品です。まだ学校外では修了制作の上映会で一度お披露目しただけなので、それなりの数の目にさらされるのを楽しみにしています。成否やいかに、というか何でもご感想をいただければ嬉しいです。

再録「勝手に映画評『ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス』」

*1ドクター・ストレンジマルチバース・オブ・マッドネス』(2022年)は、サム・ライミが監督を務めたスーパーヒーロー映画である。同作のうち、下の動画の後半にあたる1つの場面について、その正当性というか論理のようなものを記述してみる。

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この場面では、ベートーヴェンやバッハの曲を武器に2人のベネディクト・カンバーバッチが戦闘を交わしている。魔法で五線譜を浮かび上がらせ、音符を飛ばしてカンバーバッチとカンバーバッチが攻撃し合うのだが、ライミの発案だという*2このギャグのような戦いはそれなりの物議を醸したようだ。たとえば、InsiderのKirsten Acunaは「その場面の挿入は信じがたいほど脈絡を欠いているように感じられた」と断じ、作中の「最悪な瞬間」の1つとして言及している*3

だが、この荒唐無稽な戦いはすぐに驚くべき連鎖を見せ始める。そこには確固たる視覚的「脈絡」が存在するし、論理的な必然性に基づいた最良の戯れとなっているとまでいえそうである。

カンバーバッチがカンバーバッチを「運命」で攻撃し、続けてカンバーバッチが互いに数ラウンドずつやり合うと、カンバーバッチは画面右方に目をやってハープを発見する。カンバーバッチはそのハープに1つの音符を生み落とさせ、カンバーバッチの胸元へ強烈に撃ち込む。この一撃がとどめとなって窓の外へ放り出されたカンバーバッチは、自邸の門の鉄柵に突き刺さって絶命することになる。

ピアノの鍵盤、楽譜の五線、ハープ、鉄柵、これらはどれも似通った形をしている。細い線が平行に並ぶ小道具がしつこく登場するこのシークエンスは、いわば視覚的な洒落に基づいて堅実に展開されているのである。譜面から攻撃の道具を生み出す戦いにおいて、目ざといほうのカンバーバッチはハープに五線譜との類似を見出した。彼が階下の平行線を殺しの道具へ変貌させることができたのは、この発見の成果にほかならない*4

No.0005

*1:この記事は2022年5月にnoteで書いた文章をもとにしている。

*2:Doctor Strange 2's Magical Music Fight Was All Sam Raimi's Idea

*3:'Doctor Strange in the Multiverse of Madness' Best and Worst Moments

*4:このシークエンスに見られる方針は、スティーヴン・スピルバーグが『ウエスト・サイド・ストーリー』(2021年)で全編を通じて取り組んだ幾何学的連想ゲームにも似ている。同作については再録「勝手に映画評『ウエスト・サイド・ストーリー』(2021年)」 - 映画を齧る人で詳述した。