La réalité, c'est pas raccord.——Jean-Luc Godard (?)
現実とは、つながるものではない。――ジャン=リュック・ゴダール(?)
回転する映写機の大写しののち、客席からスクリーンに視線を投げかける人物を正面から捉えたショットが4つ続く。それぞれ白字で名前が表示される――ジャン=リュック・ゴダール、フランソワ・トリュフォー、シュザンヌ・シフマン、クロード・シャブロル。
リチャード・リンクレイターの『ヌーヴェルヴァーグ』(2025年公開)では、カメラ目線の人物に白字で名前を重ねる手法が数十回*1にわたって繰り返されるが、こちら向きの視線や不動に近い姿勢が物語上の文脈で説明できるのはほとんどこの冒頭の4人だけである*2。ほかの数十人は物語の時間から切り離れたショットで紹介され、そのあとで物語内に位置づけが可能な(再)登場を果たすという順番になっているからだ。小津安二郎的というべきか、特権的なショットを立て続けに享受しえたこの4人組がこの映画を始め、終えることになるだろう。
ゴダールの『勝手にしやがれ』(1960年公開)の制作過程を映画にするにあたり、リンクレイターは「リハーサル・マニフェスト」を掲げ、ゴダールの即興的なやり方には倣わない旨を出演者やクルーに伝えていた*3。カメラの前後で綿密な計画や準備を行うとともに、『ヌーヴェルヴァーグ』を1959年のフランス映画として作るという技術上の戦略を取ったのだという。実際、タイトルの右下には “copyright © 1959” の文字が読まれ、全編を通じてスタンダード・サイズの白黒画面にフィルム・グレインが散りばめられているほか、セリフや効果音もおそらくモノラルに近い処理がなされている*4。
1959年――『勝手にしやがれ』以前というほどの意味で理解してよいだろう――のフランス映画を2025年に作るとは、何を意味するのか。第一に、ヌーヴェル・ヴァーグがなかったふりをして古典期のようなものへの回帰を装うことになる。この点で、「ゴダールなら(『ヌーヴェルヴァーグ』を)とても気に入っただろう」というプロデューサーのミシェル・ペタンによる発言*5に手放しで賛同することは難しい。リンクレイターの功績を見いだすとすれば、映画史上の意義などとは無縁にも映るところで拍子抜けするほど単純明快な映画を撮り上げ、仲間と集まれば映画ができるし新たな波さえ起こせるという勘違いを生みつつありそうな点だと思う。
この選ばれた時代錯誤は第二に、『勝手にしやがれ』が次々と実演してみせたような規則違反を改めて禁止する効果を持つ。『ヌーヴェルヴァーグ』では、運転席の人物(ゴダール)を助手席から捉えたとしても彼がこちらを覗き込んでくることはない*6し、助手席に座る人物(ロベルト・ロッセリーニ)を斜め後ろの席から捉えたとしても、同じ構図がジャンプ・カットでつながれることはない*7。
だが、「当時の映画にありえなかったショットは1つもない」とまで言ってみせるとき*8、リンクレイターは嘘をついている。上述した人物紹介のショットの大半は、1959年のフランス映画に挿入されえたとは考えにくく、つなぎ間違いと呼べる位置にあるからだ。前後と連続しえない異質な時空間が割り込むこれらのつなぎは、『勝手にしやがれ』以前のフランス映画よりも、事件を描く本編に(偽の)インタヴュー映像が差し挟まれるリンクレイターの『バーニー/みんなが愛した殺人者』(2011年公開)のほうに近い*9。
それをつなぎ間違いと呼ぶかどうかは措くとして、『ヌーヴェルヴァーグ』には古典的な規則を破った編集(および撮影)がもう1種類ある。向かい合う二者を順に捉える際に、二者を結んだいわゆる想像線を踏み越えたつなぎが、2つの場面で使われているのだ。作中でスクリプターのシュゾン・ファイユが説明するように、視線が合っている印象を損なうとされるつなぎである。その1つは、ゴダールとプロデューサーのジョルジュ・ド・ボールガールがカフェで喧嘩をする場面であらわれる。ここでの合わない視線はあとで解消するための布石のように機能し、最終盤では同じ2人が鏡も用いた視線の一致の強調によって和解を果たしていた。
終盤、ゴダールとジーン・スィーバーグの別れの場面にあらわれるもう1つが慎ましくも素晴らしい。出演場面の撮影をすべて終えたスィーバーグが共演者らと抱擁を交わし、ゴダールの番がやってくる。2人はぎこちなく上体を近づけ合うが、スィーバーグが右手でゴダールの左腕に触れ、それ以上の接近は阻まれる。スィーバーグの背面越しにやや左側を向いたゴダールを捉えたショットに、想像線を越えて同じ側を向いたスィーバーグのショットが続く。視線の不一致とスクリーン上での姿勢の共鳴。『勝手にしやがれ』のつなぎ間違いが映画を決定的に変えてしまうことを、2人はまだ知らない。
ところでリンクレイターは、ゴダールのフィルモグラフィにも「ヌーヴェルヴァーグ」という題の映画(1990年公開)があることをどう考えているのだろうか。
(No.0029)
*1:公式サイトの「人物ガイド」には46人が掲載されている。なお、この文章ではゴダールを演じたギヨーム・マルベックをゴダールと呼ぶなど、『ヌーヴェルヴァーグ』のフィクションに同調してみることにする。
*2:例外はあと2人いる。片方は『大人は判ってくれない』(1959年公開)を見ている客席のジャン・コクトーであり、名前の表示が済むとカメラは左へのパンで隣席のトリュフォーを映し出す。もう片方は誕生日を祝われているらしいフランソワーズ・アルヌールであり、彼女が登場のショットでケーキの蝋燭を吹き消すと、そのまま映画はパーティの描写を続けていく。
*3:「リハーサル・マニフェスト」については以下に簡単にまとめた。
*4:ただし、作品情報を見ると5.1chとされている。
*5:下の動画の4分台終盤を参照。ゴダールと交友があったペタンは『ゴダールのリア王』(1987年公開)に出演しており、注8の動画の9分台以降では交友関係が始まった経緯を語っている。
*6:ただし、« FIN » のマークの直前に映画が見せる最後のイメージは、レンズ・フッド越しにこちらを覗き込むゴダールの静止画である。
*7:ただし、スティル写真を担当するレーモン・コシュティエがカメラを準備する2日目の場面では、一度だけジャンプ・カットが使われていたと思う。
*8:下の動画の7分台を参照。
*9:『バーニー』の本編にも、死体を演じているはずの少年が頬を緩め、ジャック・ブラックが「笑わないでね」と肩口を叩くくだりがある。
