アキ・カウリスマキ『枯れ葉』または暴力の追放

取るに足らないバイオレンス映画を作っては自分の評価を怪しくしてきた私ですが、無意味でバカげた犯罪である戦争の全てに嫌気がさして、ついに人類に未来をもたらすかもしれないテーマ、すなわち愛を求める心、連帯、希望、そして他人や自然といった全ての生きるものと死んだものへの敬意、そんなことを物語として描くことにしました。それこそが語るに足るものだという前提で。

アキ・カウリスマキ監督からのメッセージ」より

以下、アキ・カウリスマキ監督による『枯れ葉』(2023年)の暴力の位相について、『希望のかなた』(2017年)など他のカウリスマキ作品と比べながら書き記す*1。下の写真はトークショーのついた先行上映の際に撮ったもので、カラフルなアルマ・ポウスティと白と黒だけの松重豊の対比もフラッシュで出た変な影も何となくよい。

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『枯れ葉』は前作『希望のかなた』で引退を宣言していたカウリスマキの6年ぶりの復帰作である。近いタイミングで仕事を失った男女がたまたま出会い、再会と別れを何度か繰り返した末に緩やかに結ばれて終わる。

『枯れ葉』が遵守する鉄則のひとつに、暴力は画面の外にとどめて音声としてのみ示すという方針がある*2。アルマ・ポウスティの自宅にはラジオしかなく、キャスターの声がウクライナ戦争の模様を何度も描写する。悪事に手を染めていた店主は警察からの逃走を試みて失敗したようだが、その様子は見物人の映っている間に画面外から聞こえてくる殴打音やうめき声から推察されるだけである。ユッシ・ヴァタネンが事故で重傷を負うのも彼がフレームを外れた後であり、無人の画面に電車と衝突する音が聞こえる。

これはたびたび画面の真ん中に暴力をとらえた『希望のかなた』と対照的である。シリア難民である主人公は中盤で初対面の飲食店オーナーと殴り合うし、夜道でリンチに遭いかけたり、終盤ではナイフで刺されて負傷したりもする。爆撃されるシリアの様子がテレビ映像として映し出され*3、それを眺める人々の顔と交互に編集される場面もある。

さらに、『枯れ葉』もその系譜に位置づけられる『パラダイスの夕暮れ』(1986年)、『真夜中の虹』(1988年)、『マッチ工場の少女』(1990年)の「労働者三部作」*4でも暴力は視覚的に明示されていた。『パラダイスの夕暮れ』の終盤では主人公のマッティ・ペロンパーが夜道で二人組に襲われるし、『真夜中の虹』でもペロンパーはパスポートの偽造業者にナイフで刺され、主人公のトゥロ・パヤラがその業者をまとめて銃殺する。

『マッチ工場の少女』だけはやや異なる方針が選ばれている。家のテレビが天安門事件の映像を繰り返し放映しているのに加え、主人公のカティ・オウティネンが殺鼠剤を用いて複数の殺人を犯すが、犯したことになっている毒殺の様子は明示されないからである。殺鼠剤の混ざった飲み物が口にされると画面はフェードアウトし、毒の効果が出るのを待たずに場面が転換する。あるいは、画面の左へ振り向く主人公に続き、その視線の先の景色ではなく向きを変えた後の主人公の顔を正面に回ってとらえた映像を繋ぐパターンも見られる。フェードアウト(これは他のカウリスマキ作品でも多用される)や見た目の排除は殺人の前の場面でも使われており、同じ手法が死者や暴力の顛末を画面の外に押しやっている。

『枯れ葉』のカウリスマキは、暴力の画面からの排除を(テレビをラジオで置き換えることで)より徹底しながら『マッチ工場の少女』に回帰し、そこに連帯への希望を添えたと見てよいかもしれないし、暴力との関係における新しい位置を携えて戻ってきたというべきかもしれない。いずれにしても、作中でも言及のあるウクライナ戦争を経て6年ぶりに復帰した彼の動機は、そのあたりにもあったのではないかと思われる。監督のメッセージとされる文章が自身の「バイオレンス映画」を引き合いに始まるのも、その観点から理解できるだろう。

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*1:主題から外れる話を先に書き留めておく。アルマ・ポウスティが自宅でユッシ・ヴァタネンと食事をする際、アペリティフ(食前酒)とディジェスティフ(食後酒)をめぐるコミカルなやり取りが交わされる。ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー『不安は魂を食いつくす』(1974年)の一場面と同様に、アペリティフは労働者階級になじみのない言葉として使われており、カウリスマキがベストテンに同作を含めたことがあることからも影響関係がうかがえる。

ファスビンダーにおいては高級飲食店にやってきた男女がともに意味を知らずに(意地の悪い店員の導きで)アペリティフを注文していたが、『枯れ葉』では自宅でアペリティフを用意したポウスティがヴァタネンにその意味を説明してやる。ともに労働者である2人の出自の違いが示唆されており、ポウスティの演じるアンサという人物は、酒飲みの父の死後に急激に生活が苦しくなったという設定があるのかもしれない。

*2:ただし、唯一の例外はジム・ジャームッシュ『デッド・ドント・ダイ』(2019年)の終盤から引用される対ゾンビ戦である。被弾するゾンビが映されるはずのタイミングで客席のアルマ・ポウスティとユッシ・ヴァタネンに切り返される。

*3:新しさを価値として刹那的に消費されるニュースの断片を映画に取り込むことで延命させる手法は、後述する『マッチ工場の少女』(1990年)で使われ始める――「1980年代後半に、中国・天安門のニュース映像を自分の映画に入れれば映像を永遠に残せると気づきました」(下の動画の14分40秒あたり)。

*4:イベントレポート記事には載っていないものの、松重豊はこれを「失業三部作」と呼んでいた。

『枯れ葉』に限らない余談だが、松重は撮影をワンテイクで済ませるカウリスマキの方針に北野武の現場を連想していた。北野映画の俳優は(おっさんオールスターの趣のある近作では特に)それぞれ好き放題の本気をぶつけ合っている感じがするが、カウリスマキ映画の登場人物は短い時間で明らかにカウリスマキ映画の登場人物と分かる佇まいや台詞回しをしている。事前にどういう演出をすると俳優はワンテイクでカウリスマキ化するのだろうか。

北野武『首』

新作として見る初めての北野武作品だったものでだいぶ浮かれて臨んだ『首』(2023年)について。

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音楽の響く白画面に首の字が現れると、その字の首にあたりそうな部分が切り落とされてフレームの下へ消える。背景説明に続いて水辺の死体が映り、次のショットでは首から上のない死体を蟹が這う様子が大写しになる。「首」を名乗るこの映画では首の消失や欠如のほうが主題であることが冒頭から明かされている。

再び文字で説明が与えられ、今度は男たちが勢いをつけて押す丸太が画面を塗り替える。数回ぶつけると太い棒は門を突き破り、男のみの世界における姦通を象徴的に導入する。

 

映画の最後のショットでは、たけし=北野武=秀吉が「首なんてどうだっていいんだよ」と言い放って生首を蹴り飛ばす。西島秀俊明智光秀のものということにされているこの首も、題字以来の数々の生首と同様に画面の外へ落ちていく。首にこだわる者どもと首に頓着しないたけし=秀吉を対比する意図らしいが、「首」と題した映画を作家自らがどうでもよいと断じて締める余裕というか、その驚異的な適当さに感嘆してしまう。

アウトレイジ』(2010年)と『首』の違いとは、ともにビートたけしの台詞である「関口の野郎…」と「信長の野郎…こんちきしょう!」の違いである、と強弁してみる*1。たまたま直前に見たから比べているだけだが、文脈をゼロからスマートに作り出す必要のあった前者に対し、後者では役名のスーパーインポーズで人物の行く末が了解されるので*2、「こんちきしょう!」の部分で勝負をするしかない。「バカヤロー。なあ?」と数十年来の決め台詞に同意を求めてしまうビートたけし、台詞を噛んだまま本編にぶち込まれた浅野忠信、お椀のショット1つで済む事情をフラッシュバックまで動員して説明する冗長なまでの丁寧さなど、「どうだっていいんだよ」と切り捨てられるべくあらゆる細部が積み上げられていく。

厳格さや緊張の脱臼という意味では集団戦闘場面も同じである。合戦の冒頭では左右逆を向いた両陣営が別々に切り取られるが、ひとたび入り乱れて戦い始めると切り返しが抑制される。音声的持続に一応支えられたショットのあいだに脈絡はなく*3、基本的に名のない兵士たちが戦い、殺される瞬間が羅列される。

一方、名のある少数の人物の会話は細かい単独ショットを並べて示されることが多い。ここまで同じ2種類のカットを繰り返し往復する北野作品は初めてではないか*4。ただし加瀬亮織田信長が登場すると繋ぎ間違いが誘発され、往復する編集も選ばれにくくなる。

 

加瀬=信長のいないほとんどの場面において、たけし=秀吉は足を引きずる浅野忠信黒田官兵衛と弟の大森南朋羽柴秀長の2人を従えている。浅野=官兵衛は遠藤憲一荒木村重のせいで脚を悪くしたらしく、象徴のうえで去勢されたのを杖で代用して生き延びている。血を分けた大森=秀長とのあいだにも近親相姦を禁じる圧力がはたらいていることにすれば、たけし=秀吉自身は両脇をホモセクシュアリティからの防御で固めていることになる。

『首』は史実を同性愛排除のシステムとして再編成する。作中で男どうしの性的接触をした人物はことごとく明示的に殺され*5、していない主要人物だけが生き残る。システムに淘汰されたホモセクシュアルになりかわるのは当然それを排したホモソーシャルであり、前述のとおり身辺をあらかじめホモソーシャルで固めていたたけし=秀吉、それに醜い女への嗜好を戦略的にさらけ出した小林薫徳川家康が天下を手にするだろう。

 

ホーキング青山=多羅尾光源坊のくだりにとにかくはまってしまった。しゃべれるのになぜか発話の途中から両脇の白狐による吹き替えが重なり、わざわざ分割画面や変な音声効果まで発動して意思疎通をしている。意味の分からなさが最高である。そのわりに黙って殺され、3人の死に様も複数のショットでやたらと丁寧に示される。北野武は今度再び浅野忠信を起用して「バカバカしい映画」を作るらしく*6、フィルモグラフィにようやく追いつけたのでたくさん作ってほしい。

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*1:あとはビートたけしの生きる意志も明らかに違う。「アウトレイジ」シリーズのたけしは銃で脅されるたびに半ば懇願するように「やってみろ、この野郎」とすごむが、最後に自ら引き金を引く瞬間までお預けを食らい続ける。『首』のたけしは端ない世界に毒づきながらも生きる気満々である。

*2:大して日本史に通じていないカンヌの観客には、中高年男性の荒れ模様と死体の量産が見えただけだったのではないか。海外タイトルも不親切な Kubi である。

*3:たとえば『首』の宣伝でよく言及されている黒澤明の『七人の侍』(1954年)――ほぼ同じ時代を舞台としている――であれば、矢を放つ者と矢に突き刺されて落馬する者の切り返しがアクションの大きな部分を占める。

*4:大スクリーンで見るクロースアップの圧力に押されただけかもしれないが、先行上映で見たアキ・カウリスマキ『枯れ葉』(2023年)も同様の往復による会話が多かった気がする。青に赤をぶつけるのも一緒である。

*5:荒木村重本能寺の変のあとも生き延びたらしいが、いくつもの生首と同様にわざわざ画面の下=崖の下へ落とされる遠藤=村重には、死と同等の排除が働いたと見てよい。なお副島淳=弥助だけが例外かもしれないが、マッサージなら許容されるということか。

*6:22分20秒あたり

アンディ・ロビンソン、『ダーティハリー』への出演を回想する

以下は英語圏のホラー雑誌 Rue Morgue 掲載のインタビュー記事 "Andrew Robinson Looks Back At His Days As The Scorpio Killer - Rue Morgue(アンドリュー・ロビンソンがスコーピオ・キラーを演じた日々を振り返る)" の私訳である。出典を記すことを条件に翻訳公開の許可を得ている。映画作品には監督名と公開年を付したほか、何か所か改行を追加した。

2021年12月10日(火)

聞き手:マシュー・ヘイズ

アンドリュー・ロビンソンが『ダーティハリー』(ドン・シーゲル監督、1971年)のスコーピオを演じ、あらゆる人を恐怖に陥れてから半世紀が経つ。スコーピオは、サンフランシスコ市民を餌食にするゾディアック・キラー風の連続殺人犯の役である。当時ニューヨークに拠点を置く新進気鋭の舞台俳優だったロビンソンが配役されたのは、そのヒッピー風の雰囲気が一因であり、彼は長い髪と前衛的な実験劇場のオーラをまとっていた。

ロビンソンはまったく忘れがたい演技で銀幕史上もっとも卓越した殺人狂の1人を演じ、クリント・イーストウッド扮する “ダーティ” ハリー・キャラハンと対峙した。どちらの役も、それぞれに息を吹き込んだ俳優の人生を永久に変えることになった。イーストウッドの名前はしょっちゅう耳にされるようになり、彼はのちにいくつかの続編に主演した。一方のロビンソンは、予期しない形でその役に規定されてしまった。枠に完全に押し込められたのである。ロビンソンはその状況に失望し、変質者的でない新鮮な役を見つけるべく復帰するまで、何年か演技を離れていた。ファンは彼を『ヘル・レイザー』(クライヴ・バーカー監督、1987年)のラリー・コットン役や、繰り返し演じた『スター・トレック:ディープ・スペース・ナイン』(1993〜99年)のエリム・ガラック役として記憶するだろう。この25年間、ロビンソンはUSCで演技を教えている。

先日、Rue Morgue はロビンソンに再会し、彼のキャリアと人生に消えない跡を残した役について振り返ってもらった。

 

どのようにこの役に決まったのですか?

ドン・シーゲルの息子のクリス・タボリとは仕事で一緒になったことがありました。ニューヨークに来たドンが「ニューヨークでいちばんすぐれた若い俳優は誰だ」と尋ねると、クリスは「アンドリュー・ロビンソン」と言ってくれたのです。おかげで顔合わせが行われましたが、おそらく15分ほどでとても短かったため、それ以上何も起こるわけがないと思っていました。

すると数週間後、当時出演していた演劇の舞台にちょうど上がろうとしていたとき、舞台監督が楽屋に下りてきて、クリント・イーストウッドが客席にいると私たちに伝えました。この演劇はオフ・ブロードウェイのドストエフスキー小説の翻案だったので、クリント・イーストウッドが見物に現れるとは考えにくいものでした。私にはなぜ彼が来たかが分かりました。

 

彼が客席にいると分かって演じるのは緊張したのではないですか。

演じるときは集中できます。本当に集中しているので、私は公演初日も気になりません。ビームが頭上に落ちてきたりでもしない限り、何も私を止めることはありません。その晩の私の演技は明らかに上出来でしたが、休憩時間に舞台監督から、クリントが第1幕のあとで帰ったと聞きました。再び私はそれっきりだと思ったのですが、2週間後にはサンフランシスコにいました。

 

あなたが演じたスコーピオ・キラーは、明らかにゾディアック・キラーをもとにしています。役を演じる前はどのようなリサーチをしたのですか?

正直に言って、あまりしませんでした。ゾディアック・キラーについては、彼が残していた暗号のメモ以外に知られていることがあまりに少なかったからです。私がしたリサーチは、フィルム・ノワールをたくさん見ることだけでした。『死の接吻』(ヘンリー・ハサウェイ監督、1947年)で変質者に扮したリチャード・ウィドマークの演技には、子どものときに甚大な影響を受けました。

私が役を演じ始めるときにすることの1つは、伝記の執筆です。スコーピオについてはいくらかヒントをもらっていましたが、ドンは私が作中人物として履いていた軍靴*1をくれました。その軍靴は、平和のシンボルをかたどった私のベルトの留め金とともにうまく影響を与えてくれました。この男はベトナムで戦っていたと想像したのです。

ベトナムは私にとって重要でした。そこへ行くべく召集を受けて、カナダへ去る準備をしたことがあったからです。[ベトナムへ]行く気はなかったため、鞄に荷物を詰めていました。そのとき、自分は第二次世界大戦で戦死した人――私の父がそうです――の残した唯一の子にあたることが分かり、私は徴兵を免除されました。そういう経緯で、この作中人物もベトナムでの従軍後は完全に錯乱するだろうと考えたのです。

 

ダーティハリー』を見ると印象的なのは、クリント・イーストウッドの演技とあなたの演技に現れるスタイル上の緊迫感です。彼はいつも通り彼のやり方で演じており、非常にミニマリスト的です。彼は目を細くする表情だけで多くを表現できます。他方であなたは、完全に度を越えたような演技をしています。演技のスタイルにおけるこの対比は、制作中に話題に上りましたか?

そのことはまったく意識にありませんでした。あなたが言うように、クリントはクリントです。彼には彼とカメラとの関係があり、ミニマリスト的で派手なことをしません。彼は禁欲主義的なのです。顔立ちのよい若者だったことも損にはならなかったでしょう。ドンがニューヨークの若い舞台俳優を求めていたのはそういう理由だと思います(私はダウンタウンの舞台俳優で長髪だったので)。私たちが互いを引き立て合うようにすることは、初めからドンの考えだったのだと思います。

頭のおかしい人を演じるのはとても難しいことです。その境地に達しなければいけないのです。俳優が観客に目配せをしているうちはうまくいくわけがありません。ドンはその境地に達するよう私を促してくれました。それはとても創造的な経験でした。映画業界で得た中ではもっとも創造的な経験です。残念なのは、映画にかかわる経験はすべてそういう感じなのだろうと思ってしまったことです。実際はその逆だとすぐに学ばされました。ドンは私のしていることを見ていて、思いついたアイディアを聞いてくれました。私が思いついたアイディアはほぼすべて採用してくれました。

 

あなたが思いついたことはたとえば何ですか?

私はフィジカル・シアターの仕事に深く携わっていました。フィジカル・シアターとはとりわけイェジー・グロトフスキの教えですが、当時アメリカに到来しつつあり、現在も私がUSCで教えているものです。それは演技に対してとても身体的なアプローチを取ります。

ダーティハリー』に出たころの私は身体的に人生で最高の状態だったので、あらゆる演技がとても身体的です。スタジアムの場面では、彼に撃たれて私がひっくり返るところで、倒れる動作を自分でやろうと提案しました。最後の採石場を駆けめぐる追跡場面では、ドンと撮影監督[訳注:ブルース・サーティース]と私で追跡の現場を歩いて回り、私はできることをいくつも提案しました。たとえば、ベルトコンベアに乗ろうと言いました。手すりを滑り降りるのもやりたかったのですが、本当に棘だらけだったので、ドンが衣装部に頼んで仕立てさせ、棘が刺さらないようズボンの下に革を身につけました。最後の場面では、ドンがスタント・ダブルを飛行機で呼んでいましたが、撃たれて甲板から飛んで池に落ちるくらいはできる気がしたので、スタントを自分でやりました。

 

同作は表現方法において現代でもとてもリアルに見えます。偉大な犯罪映画です。

少し前に大きなスクリーンで作品を見ました。まだまったく古びていないと感じます。ブルース・サーティースによる撮影も、ラロ・シフリンの音楽もです。あの音楽は際立ってすぐれています。スコーピオに合わせて彼の作曲した音楽が素晴らしく、この映画の半分は音楽だと思います。

 

あなたのキャラクターは散々に殴られるうえ、バスごと子どもたちを人質に取り、そのうちの1人を殴る場面さえあります。撮影がもっとも大変だったのはどの場面ですか?

最悪に大変だったのがまさにその2つです。お見事! 私をぶちのめす男を演じたのは優しい俳優で、あの場面の撮影は彼にとって何よりつらい時間でした。彼はとても取り乱していました。カメラが私に大きく寄っているときは、スタント・コーディネーターが代わりに入っていました。

スクールバスのことは本当に酷でした。あの可愛らしいスクールバスでは、缶詰の中にいてゴールデン・ゲート・ブリッジを往復しているような感じでした。でもドンは、「子どもたちを怖がらせられていない。怖がらせないとこの場面はうまくいかない」と言いました。それから私が叫んだりあの歌を歌ったりすると、子どもたちは本当に怖がり始め、1人は泣き出してしまいました。あの子どもたちがどうやって選ばれたのかは分かりませんが、学校が1日休みになったと思っていたのに、実際はこの過酷な場面の撮影だったという事情だと思います。

 

あの子どもたちは、何をしに来ているのかを分かっていなかったということですか?

みんな元気にしているとよいのですが。精神科の請求書に追われていないことを願います。

 

連絡を取り合ってはいないのですか?

[笑って]私はもっとも会いたくない人物だと思いますよ。

 

映画は公開されると一瞬で大評判になりました。若い俳優にとっては高揚を覚える出来事だっただろうと思います。それはあなたにとってどんな瞬間でしたか?

至福の時でした。公開前に映画を初めて見たとき、見ながら「信じられない!」と思っていました。演技に誇りを感じたからです。私は有頂天になっていました。自分の演技についていつもこういう気持ちになるわけではないのですが、この映画ではそうでした。

私が思い至らなかったのは、それが多くの人に恐怖を与えたということでした。私に仕事を与える気にならなくなるほどの強い恐怖を、人々は感じたのです。ドンが次の作品に出演させてくれるまでの1年間は仕事がありませんでした。このことに私は困惑し、悩まされました。

そのすべてを物語る瞬間がありました。ワーナー・ブラザーズのあるキャスティング・エージェントと会う約束をしていたときのことです。彼女は私の名前をあの映画と結びつけてはいませんでしたが、彼女のオフィスへの通路を歩いている私を見て、私が誰なのかに気づきました。そこで彼女は秘書に、言い訳をでっち上げて約束をキャンセルするように言ったのです。何年も後でそのキャスティング・ディレクターはこの話を聞かせてくれました。秘書に約束を取り消すよう頼んだのは、単に私に会いたくなかったからだそうです。そのような状態が数年続きました。映画でキャリアを築くことになるものとしばらく思っていたのにそうはならなかったので、多少は打ちのめされました。

 

その役を引き受けたことを後悔したことがあるかどうか、お聞きするつもりでした。

大いにあります。業界をやめてロサンジェルスを去り、山間部の小さな町に住んで違う仕事をしていた時期がありました。私はしばらくスコーピオに酷似した役しかオファーをもらっていませんでした。もう終わりだと思い、遠くへ去ったのです。それはとても賢明な決断でした。約5年間は完全に現場から離れて過ごし、ついに私にとってのスコーピオの時代もバックミラーに映る過去の出来事になりました。

 

ファンに言われたもっとも奇妙なことは何ですか?

殺害予告がいくつかありました。ひどいこともたくさんありました。たとえば、妻が電話を取って殺害予告を受けたこともあり、電話帳にない番号を入手しないといけなくなりました。ある男は記者になりすましてインタビューをしたいと言ってきて、ウィリアム・モリス[訳注:ハリウッドのタレント事務所]のオフィスの1つで会うことにしたのは幸運だったのですが、すぐに何かがおかしいと感じました。彼は完全に正気を失っており、スコーピオになるのはどういう感じだったかを知りたがったので、私はすぐに立ち去りました。私に近づいてマグナムを構えるふりをし、クリントが私を撃つ前に言っていた口上をひと通りやる男は何人もいました。

これらのせいで、演じることは時に無垢な仕事ではないのだと確信しました。実際、色々と異なる人々を惹きつけてしまうことがあるのです。その波が落ち着いて、私が前に進めるようになるには、しばらく時間がかかりました。

 

それでも、あなたはこの映画を作った経験をとてもポジティブな出来事として話しています。

映画の制作自体は素晴らしく、スリルに満ちていました。作っているのは昔ながらのハリウッドの人々で、ほとんどが保守派でした。3テイク目を撮ることはありませんでした。経済的な映画制作ですが、とても見事に行われていました。私たちは50年を経た現在もまだこの映画について語っています。この映画は西部劇、刑事もの、ホラーなどいくつかのジャンルの組み合わせであり、アメリカ映画の神髄なのです。

 

ダーティハリー』については、多くの批評家が警察による暴力や拷問を賛美するファシスト的映画と非難していたことも言及しなければいけません。制作時にはこの映画の右翼的な傾向について考えていましたか?

考えていませんでした。私は急進左翼なので、おかしな話です。私が悩ましく思ったのは、映画が公開されてしばらくして起こった事件でした。『ダーティハリーごっこをしていた2人の子どもの1人が父親の銃を持っていて、一方が他方を殺してしまったのです。その話を聞いたときは本当に深く動揺しました。暴力について、私たちに何が言えるでしょう? 人口の2倍近い数の銃があるアメリカの人間として、何を言うべきかを知るのは難しいことです。

 

面白いのは、1本目の映画の持っていた私刑支持のメッセージの多くを、最初の続編『ダーティハリー2』(テッド・ポスト監督、1974年)が否定していることです。

そしてその続編は本物らしく感じられませんでした。ポーリーン・ケイル[訳注:映画批評家]にファシズム賛美と見なされたことで悩んでいたのは分かります。少し前言を翻そうとしていたのです。たしかに『ダーティハリー』は映画の暗い面を表現していますが、結局はただの映画にすぎません。

ステュアート・ローゼンバーグとオーディションで一緒になり、私のオーディション中に彼と口論になりました。彼は本物の左翼で、単刀直入に「あなたはどうしてあんな映画が作れるのか」と聞いてきました。私は「本気かよ。私は俳優だ。第三帝国を支持する映画に出たわけでもないのに」と言いました。「こんなやつはどうでもいい」と思っていましたが、私の反論に感謝した彼が役をくれたので、『新・動く標的』(スチュアート・ローゼンバーグ監督、1975年)という映画でポール・ニューマンと共演しました。

 

ダーティハリー』の制作で、ほかに印象的だった思い出はありますか?

映画の結末で警察バッジをどうするかについて、ドンとクリントが激しく言い争っていました。スコーピオは息絶えて池に浮かんでいます。ハリーはバッジを取って投げ捨てるのか、という問題がありました*2。ドンや私は投げ捨てなければいけないと思っていました。彼は外れ値であり、私刑を下した人間だからです。彼は正義や名誉について異なる規則に生きる男です。法律の外へ踏み出してしまったわけです。ドンが勝ってとても嬉しく思いました。


クリントはバッジをポケットに戻したがっていたということですか?

ええ。彼は反論して、「法と秩序の男なのに、どうしてバッジを投げ捨てるのか」と言っていました。


あの終え方は『真昼の決闘』(フレッド・ジンネマン監督、1952年)の最後への目配せだと思っていました。あの映画でも主人公[訳注:ゲイリー・クーパー演じる保安官のウィル・ケイン]が同じことをするからです。

たぶんその通りですが、大きな論争の種になっていました。ドンの考えが通ってとても嬉しかったです。

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*1:paratrooper boots(落下傘兵用のブーツ)

*2:ダーティハリー』の脚本と映画の結末をざっと見比べた記事「『ダーティハリー』脚本と結末について - 映画を齧る人」も参照。

上映イベント宣伝:12/10㈰「ちょっとだけ遠い人々 現代映画と距離の感覚」

12/10㈰の13:30から17:00にかけて、駒場キャンパス18号館ホールにて「ちょっとだけ遠い人々 現代映画と距離の感覚」という題のイベントがあります。東京大学大学院表象文化論コースのWebジャーナル『Phantastopia』編集委員会の主催で、拙作『Flip-Up Tonic』『金曜物語』とたかはしそうたさんの作品『移動する記憶装置展』が上映されます。詳細は以下のとおりです。

phantastopia.com

集客がそれなりに順調らしいと聞いて浮足立っているのですが、せっかくの機会なのでなるべく多くの方に来ていただいてあわよくば色々お叱りを受けたいという願望があり、向こう1週間で多少でも宣伝効果があがればと上映作品の紹介をしてみます。ご都合のつく方はお申し込みのうえ足を運んでくださると嬉しいです。

このイベントはぴあフィルムフェスティバルコンペティションが何かの間違いで『Flip-Up Tonic』を入選枠に含めてくださったことから始まりました。同映画祭関係者の皆様、それからこれまで作品の制作にかかわってくださった方々にお礼を申し上げます。

 

『移動する記憶装置展』

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たかはしそうた監督による東京藝術大学大学院の修了制作で、PFFアワードでは観客賞を受賞されました。劇場公開もされた同監督の『上飯田の話』に続いて横浜市泉区上飯田が舞台ですが、題が示唆するようにそこは移動の中継地点でしかないようにも見えます。

アーティスト=宇宙人を媒介に「装置」が回転していくこの映画は、町の現在という一瞬を緩やかにとらえ続ける一方、記憶が徐々に劣化していく過程を凝縮して見せる試みでもあると思います。大学で紹介(というと傲慢ですが)できたら面白いお話が聞けるのではないかと思い、ご相談を差し上げたところ快諾してくださいました。

全編を通じて力の抜けた緊張感が持続する不思議な映画で、次のフレームが何を映すかをめぐる期待でとても楽しく鑑賞していました。初見時は最初のショットが訳も分からず刺さってしまっていきなり参っていたこともここで告白します。

 

『Flip-Up Tonic』

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以前気が向いて作った変な予告編をこの期に及んで公開します。映画制作サークルで初めてまともに人々に協力してもらいながら手探りで作った短編映画です。運よくうまくいった習作という位置づけにしています。

SF映画は存在しない」という蓮實重彦氏の文章を真に受けてできてしまったSF映画で、意味をなさないタイトルは Pulp Fictionクエンティン・タランティーノ監督、1994年)のアナグラムでできています。時系列の入れ替えや中身の薄さは同作の真似のつもりですが、青山真治監督による『WiLd LIFe』(1997年)が楽しすぎた影響で映像は持続しながら時間が逆流する箇所もいくつか出てきます。

PFFに合わせて審査にかかわられた方がブログ記事を書いてくださったので、ここでも貼り付けます。円環構造や発話の問題から「挑発的な作品である」と締めてくださり、恐れ多くもとても嬉しかったです。改めてありがとうございました。

nakayama611111.hatenablog.com

 

『金曜物語』


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スクリューボール・コメディのジャンル研究をやるぞと大見得を切って企画し、映画美学校の修了制作として作った短編です。要項に課された15分の制約を生かせば「再婚喜劇」のド直球な逆張りも成立するのではないかという見立てをもとに、非礼(?)を承知でハワード・ホークスの露骨な真似から映画を始めています。参照先が遠いうえに古典期ハリウッドの直後を生きている風を装っているので二重に時代錯誤的な試みといえそうですが、いまはこれしか手がないとこういう作戦を取りました。

とりあえず現時点の自己ベストととらえている作品です。まだ学校外では修了制作の上映会で一度お披露目しただけなので、それなりの数の目にさらされるのを楽しみにしています。成否やいかに、というか何でもご感想をいただければ嬉しいです。

再録「勝手に映画評『ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス』」

*1ドクター・ストレンジマルチバース・オブ・マッドネス』(2022年)は、サム・ライミが監督を務めたスーパーヒーロー映画である。同作のうち、下の動画の後半にあたる1つの場面について、その正当性というか論理のようなものを記述してみる。

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この場面では、ベートーヴェンやバッハの曲を武器に2人のベネディクト・カンバーバッチが戦闘を交わしている。魔法で五線譜を浮かび上がらせ、音符を飛ばしてカンバーバッチとカンバーバッチが攻撃し合うのだが、ライミの発案だという*2このギャグのような戦いはそれなりの物議を醸したようだ。たとえば、InsiderのKirsten Acunaは「その場面の挿入は信じがたいほど脈絡を欠いているように感じられた」と断じ、作中の「最悪な瞬間」の1つとして言及している*3

だが、この荒唐無稽な戦いはすぐに驚くべき連鎖を見せ始める。そこには確固たる視覚的「脈絡」が存在するし、論理的な必然性に基づいた最良の戯れとなっているとまでいえそうである。

カンバーバッチがカンバーバッチを「運命」で攻撃し、続けてカンバーバッチが互いに数ラウンドずつやり合うと、カンバーバッチは画面右方に目をやってハープを発見する。カンバーバッチはそのハープに1つの音符を生み落とさせ、カンバーバッチの胸元へ強烈に撃ち込む。この一撃がとどめとなって窓の外へ放り出されたカンバーバッチは、自邸の門の鉄柵に突き刺さって絶命することになる。

ピアノの鍵盤、楽譜の五線、ハープ、鉄柵、これらはどれも似通った形をしている。細い線が平行に並ぶ小道具がしつこく登場するこのシークエンスは、いわば視覚的な洒落に基づいて堅実に展開されているのである。譜面から攻撃の道具を生み出す戦いにおいて、目ざといほうのカンバーバッチはハープに五線譜との類似を見出した。彼が階下の平行線を殺しの道具へ変貌させることができたのは、この発見の成果にほかならない*4

No.0005

*1:この記事は2022年5月にnoteで書いた文章をもとにしている。

*2:Doctor Strange 2's Magical Music Fight Was All Sam Raimi's Idea

*3:'Doctor Strange in the Multiverse of Madness' Best and Worst Moments

*4:このシークエンスに見られる方針は、スティーヴン・スピルバーグが『ウエスト・サイド・ストーリー』(2021年)で全編を通じて取り組んだ幾何学的連想ゲームにも似ている。同作については再録「勝手に映画評『ウエスト・サイド・ストーリー』(2021年)」 - 映画を齧る人で詳述した。

再録「勝手に映画評『ウエスト・サイド・ストーリー』(2021年)」

f:id:MVKnl:20231119003058j:image

*1上の模式図は、スティーヴン・スピルバーグが監督したミュージカル映画『ウエスト・サイド・ストーリー』(2021年)の画面に溢れている形である。バルコニーの鉄柵、地下倉庫の棚、あちこちに現れる梯子・・・これらの装置に共通する形状を以下では「工工工形」と総称し、作品の底流として攫い直してみる。この幾何学的類似性の発見こそ、スピルバーグにこのミュージカルの(再)映画化を決断させた要因だったのではないか。

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「工工工形」の氾濫

映画はまず、解体工事の現場周辺を人間離れした移動撮影でひと続きに映し出す。1分半にわたるこのショットの冒頭、地面には金属製の「工工工形」が折り重なって横たわっている。群生するそれぞれがかつて鉄柵だったのか、それとも梯子だったのかと問うことは意味を持たず、代わりに両者が視覚的に地続きであることが強調される。

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ひと悶着あってヴァレンティーナ(演:リタ・モレノ)――少年ギャングの両陣営から信頼を置かれる彼女は梯子にのぼった状態で登場する。このことにはあとで立ち戻る――の店へ移ると、地下倉庫でトニー(演:アンセル・エルゴート)とリフ(演:マイク・ファイスト)が言葉を交わしている。少年院を出たばかりらしいトニーが改心を告白するとき、彼は棚板の間=「工工工形」の隙間からリフと顔を覗き合わせている。

その晩の体育館にて、トニーとマリア(演:レイチェル・ゼグラー)は踊る群衆の中に互いを発見する*2。観客席だと思われる巨大な「工工工形」の裏で人込みから逃れ、ひと時心を通わせる2人。映り込む扉も律儀に「工工工形」に象られている。

パーティからの帰り道、トニーは集合住宅のバルコニーにマリアを発見する。その壁面は鉄柵や階段梯子などの「工工工形」で埋め尽くされている。トニーが壁をよじ登って距離を縮め、2人は階段梯子=「工工工形」越しに目線を合わせて "Tonight" を歌う*3

映画の終盤、マリアの死を知らされたトニーは悲壮の表情を見せ、衝動的に梯子の立てかけられた壁際へ駆け寄る。トニーは銃殺され、少年ギャングの両陣営が協力して死体を運んでいくが、それを捉える最終ショットは梯子越しのロング・ショットである。カメラは梯子=「工工工形」に沿って垂直に上昇し*4、奥へ歩く一行と到着する警察車両を踏み台の隙間から捉える。1階分をのぼり切ると最後に柵=「工工工形」が映され、映画は終わりを迎える。

 

「工工工形」のモチーフをめぐるサブテキスト

このように、スピルバーグ版『ウエスト・サイド・ストーリー』は最初から最後まで「工工工形」に貫かれている。あらゆる機能を剥奪された裸の死骸であった「工工工形」は、物語が進むなかでのぼられ、覗かれ、支えにされ、隠れ蓑にされ、縋られて、最後には上昇の希望と柵による閉塞を同時に示すことになるだろう。力なく横たわっていた「工工工形」が2時間半ののちに立ち上がってしまうという事件。この映画は「工工工形」の変容というサブテキストに貫かれた作品である。

さらに、「工工工形」自体の形状を物語に関わる主題の図式化と解釈することもできるかもしれない。つまり、2本の長い棒のあいだに複数の棒や板を架け渡した「工工工形」は、文字通り平行線の二者の融和の象徴にも見える。梯子にのぼった状態で画面に導入されるヴァレンティーナが敵対するギャングの双方と友好的であることは、この点で必然的である。さらに、映画の最後で両陣営の成員に担がれるトニーは自らの死をもって「工工工形」の架け橋の位置を獲得した、という記述も成り立つ。

「工工工形」は同じミュージカルの映画化『ウエスト・サイド物語』(ジェローム・ロビンズとロバート・ワイズ監督、1961年)にも多く姿を見せていながら、有効には昇華されず無視されていた。「工工工形」に映画を丸ごと背負えるほどの可能性を見出したことは、スピルバーグをこの映画の制作へ突き動かした大きな要因だったに違いない。

No.0004

*1:この記事は2022年2月にnoteで書いた文章をもとにしている。

*2:West Side Story Extended Preview - The Mixer (2021) | Vudu - YouTube

*3:これは先のトニーとリフのやり取りの変奏にほかならず、遡ってリフとトニーのあいだの性的緊張を正しく暗示する。

*4:ジェイムズ・マンゴールドは『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』(2023年)を建物に沿ったカメラの上昇で締めくくり、同作制作時点でスピルバーグの最新作だったはずの『ウエスト・サイド・ストーリー』へオマージュを捧げている。

『ダーティハリー』脚本と結末について

ドン・シーゲル監督、クリント・イーストウッド主演の『ダーティハリー』の脚本をScript Slugで見つけた。本編でクレジットされているのはハリー・ジュリアン・フィンクR・M・フィンク、ディーン・ライズナーの3人である。ル・シネマで35mmフィルムの上映を見た直後に見つけたもので数日読みふけっていた。

www.scriptslug.com

英語ではaction linesというらしいト書きが全編を通じて(作品に反映されていないものも多いが)かなり詳しく、だいぶ気取って書かれてもいるので読みがいがある。最後の2シーンを訳出する。

545 ハリーの寄り

今や彼は取り返しのつかないことをしてしまった。命令に背き、子どもたちを危険にさらし、男を殺したのである。彼は星形のバッジを取り出して見つめ、バッジは手放さずに済むよう戦う価値のあるものだろうかと自問する。彼はバッジをどぶ池へ投げ込もうと振りかぶる。が、急に投げやめる。こちらへ向かう警察のサイレンが遠くから聞こえてきたのである。投げやめた彼は、ため息に近い何かとともにバッジをポケットに戻し、来た道を引き返し始める。

546 ロング・ショット

俯瞰*1。手前に血だらけの死体の浮かぶどぶ池。カメラが微かに後退するにつれ、サイレンの音が大きくなる。道を向こうへと歩くのは、小さくなっていく孤独な人影である。その男を人は「ダーティハリー」と呼ぶ。

ハリー・キャラハンがバッジを投げずに終わることになっていた時期があったことがここから分かる。スコーピオを演じたアンディ・ロビンソンの話では、バッジを投げるべきだと考えるドン・シーゲルらに対してイーストウッドが反発していたらしく*2、そのあたりの折衝の過程でこういう段階も踏まれたのだろう。脚本の表紙に1971年4月1日(撮影開始の月らしい)の日付と最終版の文字があるから、だいぶ土壇場で結末が決まったようである*3。冒頭と末尾をバッジで飾る意図は映画からも脚本からも明らかなので、むしろイーストウッドを一時的になだめすかすためにこのパターンの脚本が用意されたのかもしれない。

 

No.0003

*1:英語では "shooting down" でかっこいい。

*2:Andrew Robinson Looks Back At His Days As The Scorpio Killer - Rue Morgue

*3:出典の書籍は確認していないが、Dirty Harry - Wikipediaには「この場面の撮影時にイーストウッドは考えを変え、シーゲルの望むエンディングに合わせることにした」とある。