『ダーティハリー』脚本と結末について

ドン・シーゲル監督、クリント・イーストウッド主演の『ダーティハリー』の脚本をScript Slugで見つけた。本編でクレジットされているのはハリー・ジュリアン・フィンクR・M・フィンク、ディーン・ライズナーの3人である。ル・シネマで35mmフィルムの上映を見た直後に見つけたもので数日読みふけっていた。

www.scriptslug.com

英語ではaction linesというらしいト書きが全編を通じて(作品に反映されていないものも多いが)かなり詳しく、だいぶ気取って書かれてもいるので読みがいがある。最後の2シーンを訳出する。

545 ハリーの寄り

今や彼は取り返しのつかないことをしてしまった。命令に背き、子どもたちを危険にさらし、男を殺したのである。彼は星形のバッジを取り出して見つめ、バッジは手放さずに済むよう戦う価値のあるものだろうかと自問する。彼はバッジをどぶ池へ投げ込もうと振りかぶる。が、急に投げやめる。こちらへ向かう警察のサイレンが遠くから聞こえてきたのである。投げやめた彼は、ため息に近い何かとともにバッジをポケットに戻し、来た道を引き返し始める。

546 ロング・ショット

俯瞰*1。手前に血だらけの死体の浮かぶどぶ池。カメラが微かに後退するにつれ、サイレンの音が大きくなる。道を向こうへと歩くのは、小さくなっていく孤独な人影である。その男を人は「ダーティハリー」と呼ぶ。

ハリー・キャラハンがバッジを投げずに終わることになっていた時期があったことがここから分かる。スコーピオを演じたアンディ・ロビンソンの話では、バッジを投げるべきだと考えるドン・シーゲルらに対してイーストウッドが反発していたらしく*2、そのあたりの折衝の過程でこういう段階も踏まれたのだろう。脚本の表紙に1971年4月1日(撮影開始の月らしい)の日付と最終版の文字があるから、だいぶ土壇場で結末が決まったようである*3。冒頭と末尾をバッジで飾る意図は映画からも脚本からも明らかなので、むしろイーストウッドを一時的になだめすかすためにこのパターンの脚本が用意されたのかもしれない。

 

No.0003

*1:英語では "shooting down" でかっこいい。

*2:Andrew Robinson Looks Back At His Days As The Scorpio Killer - Rue Morgue

*3:出典の書籍は確認していないが、Dirty Harry - Wikipediaには「この場面の撮影時にイーストウッドは考えを変え、シーゲルの望むエンディングに合わせることにした」とある。